戦争で取り戻すことに賛成ですか?
救出と武力
戦争で取り戻すことに賛成ですか?
現在、丸山穂高議員の北方領土問題における問題発言が、
大変な騒ぎとなっています。
「戦争でこの島を取り返すことは賛成ですか?反対ですか?」
「戦争しないとどうしようもなくないですか?」
などの発言です。
彼に対しては、一部のウヨク以外からは擁護する言葉はほとんど見られず、
ほぼ全方位から厳しい批判が向けられています。
好戦的な風潮が高まっているように思われていた日本において、
これだけ彼の発言に拒否反応が示されたことは、
平和を望む気持ちが、まだ国民大多数の間で
健在であることの証拠と言えるでしょう。
そう言う意味では、言語道断な事件である一方、
ほっと胸をなでおろす気持ちが持てるような、
そういう出来事でもあったと思います。
ところで、この騒ぎの中で気になったことがあります。
それは「拉致の集会では、結構こういう発言あったよな」
ということです。
そこで、過去の拉致の集会での、関係者の発言を調べてみました。
すると戦争というか、武力行使についての発言が
思った通り多く有りました。
そのなかで、主だったものを挙げてみます。
●2013/4/27 国民大集会 西村眞悟氏(当時議員)
我々は立法府におりますし、先ほど来法整備の話がありました。
想像を絶する訓練を日々続けており、
命令があれば今ただちに北朝鮮に潜入して
国民を救出できるという力を持っている部隊が自衛隊にあることを、
みなさんにご報告させていただきます(拍手)。
・・・・・
これが我々の国会における戦いであり、
皆さんに覚悟をしていただかねばならないと申し上げる次第です。
我々の眼の黒いうちに北朝鮮を打倒して、
全日本人を救出する日の近からんことを、
皆さんと共に誓い合いたいと思います(拍手)。
www.sukuukai.jp/mailnews/item_3424.html
●2013/7/11 東京連続集会 増元照明氏(増元るみ子さん弟)
日本人は戦争はだめだ、平和でなければだめだと言うんですが、
じゃあ拉致被害者の平和は誰が守ってくれるのという思いが強いですね。
アメリカは一致団結して救出しようという時に、
誰も文句は言わないでしょうし、
それを軍事力でやろうとしても誰も異論がないでしょう。
しかし日本では、自分たちが平和でありさえすればいいから、
同じ日本人が拉致被害を受けても、
それを武力で取戻すという発想がまったくないというのが
今の現状だと私は思っています。
でも本当にそれでいいのかな。
一部の人間の被害、苦しみは上にあげて、
本当にそれでいいのかなという思いがあります。
そういう意味で日本社会が狂い始めているというか、
以前とは違う心根が生まれてきた。
戦後60年の教育や色々な状況の中で、
どんどん変化していって個人主義になったのかな
という思いを強く感じています。
www.sukuukai.jp/mailnews/item_3550.html
●2015/4/26 国民大集会 西岡力救う会会長
一つ、まず申し上げたいことがあります。
我が国は被害者を助けるために、
武力行使ができないのかということです。
・・・・・
今まさに、安保法制の議論がされていますが、
そういう中で日本は何ができるのか。
できることを持っておいて、
いつ発動するかというのを総理のポケットに入れなければ、
「(北朝鮮が)未来を描くことを困難にする」という
総理の発言が向こうに通じません。
www.sukuukai.jp/mailnews/item_4760.html
●2017/9/17 国民大集会 寺越昭男氏(寺越昭二さん長男)
先ほど安倍総理にもお話させていただきましたが、
アメリカに行くということでした。
ちょっと不謹慎ですが、トランプ大統領にお願いして、
斬首作戦の実行をするとか、
核・ミサイル施設に対する軍事作戦を実行する。
それをやることが一番解決に近いのではと思っています。
www.sukuukai.jp/mailnews/item_6120.html
●2017/10/5 東京連続集会 島田洋一救う会副会長
私が拉致被害者だったら、
「とにかく軍事力行使を早くやってくれ」と。
リスクはあっても、こんな状態で生殺しのようにされているよりは、
軍事中枢、指令系統に限定して、
米軍もやるでしょうから、
「早くやってくれ」と思うでしょうね。
www.sukuukai.jp/mailnews/item_6165.html
相当過激な発言がされていることに驚かされます。
また、口を開けば「自衛隊!」「武力行使!」
と好戦的なことばかり言っている人物に、
特定失踪者問題調査会の荒木和博代表がいます。
以前、彼の好戦的発言への私達の回答として、
当ブログで「「拉致被害者救出には自衛隊の使用が必要」という人へ」
という記事とまとめましたので、よろしければご覧ください。
serenityprayer323.blog.fc2.com/blog-category-6.html
一方、好戦的な発言をするだけでなく、
反戦的な発言を封じる動きもあります。
女性自身2017年11月14日号に
「横田早紀江さん 制止された「戦争やめて」
大統領への直訴」という記事があります。
https://www.excite.co.jp/news/article/Jisin_31203/
ここで注目して頂きたいのは以下の部分です。
「「会の終わり際に、早紀江さんがこう話したんです。
『トランプさんに会ったら、
戦争はしないでくださいと言おうかな、
それとも政治的発言は控えたほうがいいのかな』と・・・
だがその瞬間、出席していた「救う会」関係者が、
早紀江さんの言葉をさえぎるようにこう話したという。
「政治的発言はしないほうがいい。
大統領に会えるのも安倍さんのおかげなんですから」」
補足説明すると「救う会」関係者とは西岡力救う会会長。
横田早紀江さんはトランプ大統領との面談の際、
「戦争をしないでください」とは言いませんでした。
それにしても、なぜ武力行使についての発言が、
「拉致問題であれば」、誰からも批判を受けることもなく、
受け入れられるのでしょうか?
「可哀想な拉致被害者に関わる話なのだから、
大目に見てあげなければ」という気持ちもあるでしょう。
しかし、ここで指摘したいことがあります。
これは、日本人のロシアと北朝鮮への見方の差、
はっきり言えば差別なのではないかということです。
もちろんロシアは拉致はしていません。
一方、北朝鮮は日本固有の領土を不当占拠していません。
独裁だとか、人権問題とか、非民主的であることとかで、
ロシアと北朝鮮に、それほどに大きな差があるのでしょうか?
にもかかわらず、扱いが随分違うようです。
丸山穂高議員の件で、鈴木宗男氏は
「政治家の究極の目的は世界平和。
戦争による解決を持ち出す発想はあり得ない。」
と正論を言っていますが、拉致関係者にこれまで、
このような正論が向けられたことがあったでしょうか?
この扱いの差が、今後の拉致問題における北朝鮮との交渉で、
よい結果につながることはありません。
そういう意味で、拉致の交渉では、自ら招いたことではありますが、
大変なハンディを負っていることになります。
しかし、丸山議員の件を見ると分かる通り、
一度公に口にしたことは、取り消すことはできません。
せめて私達は、
「自分達は北朝鮮に対して、無意識の内に、
差別の意識を持っていたのではないか?」
という自覚を持つことから、再出発する必要があるように思います。
差別意識以外にも、
マスメディアによる、
拉致問題の「聖域化」もあるのではないでしょうか。
・13歳の中学生の少女が暴力的に拉致をされた
・40年近く救出活動を続ける中で、
拉致被害者家族の両親の世代は高齢化し、
中には再会を果たせず亡くなった方々もおられる
このような事実がある中で、被害者家族に対して
国民もメディアも当初、気づかなかった、
あるいは拉致の事実が判明してからも
積極的に協力を惜しまなかったわけでないこと、など
被害者家族に対する負い目があるからモノを言えない、
ということによる、自制がかかってはいないでしょうか。
実際、2002年の小泉訪朝時に当時の最高指導者金正日総書記が
拉致の事実を認めて謝罪をするまで
日本のマスメディアは「拉致疑惑」と報道をしていたのですから。
その自主規制が、家族を「聖域化」し、
批判をできない状態にしているとは言えないでしょうか。
批判をされなければ、この程度は言っても良い、から
更にはまだ言えると言う状態になり、
発言はエスカレートし、結果、何を言っても良い、と
勘違いをするということになっているのが
”今”ではないのでしょうか。
以前、ある集会で高名なジャーナリストに
「家族会の批判を何故しないのか」という質問をしたときに
彼は「そんなことをしたら殺される」と返答しました。
「殺される」は文字通りの意味ではなく、
社会的にという意味でしょう。
ジャーナリストとして、非人道的、家族の悲しみが判らないのか
というようなバッシングが飛んでくる、
更に、家族をはじめとする関係者からの取材拒否などで
ジャーナリストとしての生命を失う恐れを避けたい、
ということでしょう。
実際、家族批判ではなく、
「被害者の一部の方は亡くなっている」という発言が
該当家族の逆鱗に触れ、訴訟沙汰になったジャーナリストもいます。
そのようなリスクは誰でも避けたいものです。
だから、余計なことには触れないでおこうという自主規制。
それでは、発言者をも含む私たちには、
家族や支援する政治家が無制限に放つ、
「戦争をしてでも・武力を使ってでも」という発言の
結果に対する責任を、
一部でも引き受けるという覚悟はあるのでしょうか。
多くの国民は、
「被害者家族は気の毒だ。
自分の子どもが同じ状況に置かれたなら
武力でもなんでも使って早く取り戻して欲しい」と思うことでしょう。
しかし、それでも
「もし、武力行使をして、戦争になれば
囚われている子ども達は無傷ではいられないかもしれない。
その上、日本にもミサイルが飛んできて、
原発の上にでも落とされたなら
国土も国民も大きく傷つくことになる。
その覚悟は自分にはあるだろうか...」
と考えてしまうのではないでしょうか。
もし、戦争になれば、多くの人が「巻き込まれる」のです。
国民も国土も大きく傷つき、損なわれるのです。
その覚悟を冒してでも武力による救出を願うのか?
共同体として、被害者救出の為にはそのリスクをも冒すべきだ、
との思いを国民が共有できるのか?
国民の大多数を説得できるのか?
それらを考えれば、軽々しく「戦争も辞さない」
とは言えなくなるのではないでしょうか。
ピンポイントで基地だけを、
最高指導者のいる場所だけを狙えばよい、
という声も聞いたことがあります。
アニメや小説ならば可能かもしれません。
日本の兵器は最新のものであるから、負けるはずはない、
という声もあります。
果たしてそうでしょうか。
ヴェトナム戦争、アフガニスタン、イラク、
最新の兵器を持っているはずのアメリカは全戦全勝していますか。
短期間で勝利を収め、民間人は傷つかず、国土は無傷ですか。
自衛隊員ならその命は当初から
事があれば失う覚悟があるのだろうから、失われても良いと思いますか。
彼らにも家族がいるのです。
今回の丸山議員の発言は
仲間内で”受ける”発言を言っただけ、
そんな感覚だったのかもしれません。
ただ、今回はロシアという相手国が聞いていました。
共に”受ける”発言として賛同してくれると思った
訪問団の団長からは否定されてしまいました。
「誤算だった」ということなのかもしれません。
「普段」の仲間内では受ける発言をした「程度」だったのが
思わぬ事態を招いただけなのだという”軽い”認識
なのかもしれません。
それが思わぬ事態を招かないことを願うものですが、
いつか拉致問題でも同様の事態が起きぬことを
併せて願うものです。
現在、丸山穂高議員の北方領土問題における問題発言が、
大変な騒ぎとなっています。
「戦争でこの島を取り返すことは賛成ですか?反対ですか?」
「戦争しないとどうしようもなくないですか?」
などの発言です。
彼に対しては、一部のウヨク以外からは擁護する言葉はほとんど見られず、
ほぼ全方位から厳しい批判が向けられています。
好戦的な風潮が高まっているように思われていた日本において、
これだけ彼の発言に拒否反応が示されたことは、
平和を望む気持ちが、まだ国民大多数の間で
健在であることの証拠と言えるでしょう。
そう言う意味では、言語道断な事件である一方、
ほっと胸をなでおろす気持ちが持てるような、
そういう出来事でもあったと思います。
ところで、この騒ぎの中で気になったことがあります。
それは「拉致の集会では、結構こういう発言あったよな」
ということです。
そこで、過去の拉致の集会での、関係者の発言を調べてみました。
すると戦争というか、武力行使についての発言が
思った通り多く有りました。
そのなかで、主だったものを挙げてみます。
●2013/4/27 国民大集会 西村眞悟氏(当時議員)
我々は立法府におりますし、先ほど来法整備の話がありました。
想像を絶する訓練を日々続けており、
命令があれば今ただちに北朝鮮に潜入して
国民を救出できるという力を持っている部隊が自衛隊にあることを、
みなさんにご報告させていただきます(拍手)。
・・・・・
これが我々の国会における戦いであり、
皆さんに覚悟をしていただかねばならないと申し上げる次第です。
我々の眼の黒いうちに北朝鮮を打倒して、
全日本人を救出する日の近からんことを、
皆さんと共に誓い合いたいと思います(拍手)。
www.sukuukai.jp/mailnews/item_3424.html
●2013/7/11 東京連続集会 増元照明氏(増元るみ子さん弟)
日本人は戦争はだめだ、平和でなければだめだと言うんですが、
じゃあ拉致被害者の平和は誰が守ってくれるのという思いが強いですね。
アメリカは一致団結して救出しようという時に、
誰も文句は言わないでしょうし、
それを軍事力でやろうとしても誰も異論がないでしょう。
しかし日本では、自分たちが平和でありさえすればいいから、
同じ日本人が拉致被害を受けても、
それを武力で取戻すという発想がまったくないというのが
今の現状だと私は思っています。
でも本当にそれでいいのかな。
一部の人間の被害、苦しみは上にあげて、
本当にそれでいいのかなという思いがあります。
そういう意味で日本社会が狂い始めているというか、
以前とは違う心根が生まれてきた。
戦後60年の教育や色々な状況の中で、
どんどん変化していって個人主義になったのかな
という思いを強く感じています。
www.sukuukai.jp/mailnews/item_3550.html
●2015/4/26 国民大集会 西岡力救う会会長
一つ、まず申し上げたいことがあります。
我が国は被害者を助けるために、
武力行使ができないのかということです。
・・・・・
今まさに、安保法制の議論がされていますが、
そういう中で日本は何ができるのか。
できることを持っておいて、
いつ発動するかというのを総理のポケットに入れなければ、
「(北朝鮮が)未来を描くことを困難にする」という
総理の発言が向こうに通じません。
www.sukuukai.jp/mailnews/item_4760.html
●2017/9/17 国民大集会 寺越昭男氏(寺越昭二さん長男)
先ほど安倍総理にもお話させていただきましたが、
アメリカに行くということでした。
ちょっと不謹慎ですが、トランプ大統領にお願いして、
斬首作戦の実行をするとか、
核・ミサイル施設に対する軍事作戦を実行する。
それをやることが一番解決に近いのではと思っています。
www.sukuukai.jp/mailnews/item_6120.html
●2017/10/5 東京連続集会 島田洋一救う会副会長
私が拉致被害者だったら、
「とにかく軍事力行使を早くやってくれ」と。
リスクはあっても、こんな状態で生殺しのようにされているよりは、
軍事中枢、指令系統に限定して、
米軍もやるでしょうから、
「早くやってくれ」と思うでしょうね。
www.sukuukai.jp/mailnews/item_6165.html
相当過激な発言がされていることに驚かされます。
また、口を開けば「自衛隊!」「武力行使!」
と好戦的なことばかり言っている人物に、
特定失踪者問題調査会の荒木和博代表がいます。
以前、彼の好戦的発言への私達の回答として、
当ブログで「「拉致被害者救出には自衛隊の使用が必要」という人へ」
という記事とまとめましたので、よろしければご覧ください。
serenityprayer323.blog.fc2.com/blog-category-6.html
一方、好戦的な発言をするだけでなく、
反戦的な発言を封じる動きもあります。
女性自身2017年11月14日号に
「横田早紀江さん 制止された「戦争やめて」
大統領への直訴」という記事があります。
https://www.excite.co.jp/news/article/Jisin_31203/
ここで注目して頂きたいのは以下の部分です。
「「会の終わり際に、早紀江さんがこう話したんです。
『トランプさんに会ったら、
戦争はしないでくださいと言おうかな、
それとも政治的発言は控えたほうがいいのかな』と・・・
だがその瞬間、出席していた「救う会」関係者が、
早紀江さんの言葉をさえぎるようにこう話したという。
「政治的発言はしないほうがいい。
大統領に会えるのも安倍さんのおかげなんですから」」
補足説明すると「救う会」関係者とは西岡力救う会会長。
横田早紀江さんはトランプ大統領との面談の際、
「戦争をしないでください」とは言いませんでした。
それにしても、なぜ武力行使についての発言が、
「拉致問題であれば」、誰からも批判を受けることもなく、
受け入れられるのでしょうか?
「可哀想な拉致被害者に関わる話なのだから、
大目に見てあげなければ」という気持ちもあるでしょう。
しかし、ここで指摘したいことがあります。
これは、日本人のロシアと北朝鮮への見方の差、
はっきり言えば差別なのではないかということです。
もちろんロシアは拉致はしていません。
一方、北朝鮮は日本固有の領土を不当占拠していません。
独裁だとか、人権問題とか、非民主的であることとかで、
ロシアと北朝鮮に、それほどに大きな差があるのでしょうか?
にもかかわらず、扱いが随分違うようです。
丸山穂高議員の件で、鈴木宗男氏は
「政治家の究極の目的は世界平和。
戦争による解決を持ち出す発想はあり得ない。」
と正論を言っていますが、拉致関係者にこれまで、
このような正論が向けられたことがあったでしょうか?
この扱いの差が、今後の拉致問題における北朝鮮との交渉で、
よい結果につながることはありません。
そういう意味で、拉致の交渉では、自ら招いたことではありますが、
大変なハンディを負っていることになります。
しかし、丸山議員の件を見ると分かる通り、
一度公に口にしたことは、取り消すことはできません。
せめて私達は、
「自分達は北朝鮮に対して、無意識の内に、
差別の意識を持っていたのではないか?」
という自覚を持つことから、再出発する必要があるように思います。
差別意識以外にも、
マスメディアによる、
拉致問題の「聖域化」もあるのではないでしょうか。
・13歳の中学生の少女が暴力的に拉致をされた
・40年近く救出活動を続ける中で、
拉致被害者家族の両親の世代は高齢化し、
中には再会を果たせず亡くなった方々もおられる
このような事実がある中で、被害者家族に対して
国民もメディアも当初、気づかなかった、
あるいは拉致の事実が判明してからも
積極的に協力を惜しまなかったわけでないこと、など
被害者家族に対する負い目があるからモノを言えない、
ということによる、自制がかかってはいないでしょうか。
実際、2002年の小泉訪朝時に当時の最高指導者金正日総書記が
拉致の事実を認めて謝罪をするまで
日本のマスメディアは「拉致疑惑」と報道をしていたのですから。
その自主規制が、家族を「聖域化」し、
批判をできない状態にしているとは言えないでしょうか。
批判をされなければ、この程度は言っても良い、から
更にはまだ言えると言う状態になり、
発言はエスカレートし、結果、何を言っても良い、と
勘違いをするということになっているのが
”今”ではないのでしょうか。
以前、ある集会で高名なジャーナリストに
「家族会の批判を何故しないのか」という質問をしたときに
彼は「そんなことをしたら殺される」と返答しました。
「殺される」は文字通りの意味ではなく、
社会的にという意味でしょう。
ジャーナリストとして、非人道的、家族の悲しみが判らないのか
というようなバッシングが飛んでくる、
更に、家族をはじめとする関係者からの取材拒否などで
ジャーナリストとしての生命を失う恐れを避けたい、
ということでしょう。
実際、家族批判ではなく、
「被害者の一部の方は亡くなっている」という発言が
該当家族の逆鱗に触れ、訴訟沙汰になったジャーナリストもいます。
そのようなリスクは誰でも避けたいものです。
だから、余計なことには触れないでおこうという自主規制。
それでは、発言者をも含む私たちには、
家族や支援する政治家が無制限に放つ、
「戦争をしてでも・武力を使ってでも」という発言の
結果に対する責任を、
一部でも引き受けるという覚悟はあるのでしょうか。
多くの国民は、
「被害者家族は気の毒だ。
自分の子どもが同じ状況に置かれたなら
武力でもなんでも使って早く取り戻して欲しい」と思うことでしょう。
しかし、それでも
「もし、武力行使をして、戦争になれば
囚われている子ども達は無傷ではいられないかもしれない。
その上、日本にもミサイルが飛んできて、
原発の上にでも落とされたなら
国土も国民も大きく傷つくことになる。
その覚悟は自分にはあるだろうか...」
と考えてしまうのではないでしょうか。
もし、戦争になれば、多くの人が「巻き込まれる」のです。
国民も国土も大きく傷つき、損なわれるのです。
その覚悟を冒してでも武力による救出を願うのか?
共同体として、被害者救出の為にはそのリスクをも冒すべきだ、
との思いを国民が共有できるのか?
国民の大多数を説得できるのか?
それらを考えれば、軽々しく「戦争も辞さない」
とは言えなくなるのではないでしょうか。
ピンポイントで基地だけを、
最高指導者のいる場所だけを狙えばよい、
という声も聞いたことがあります。
アニメや小説ならば可能かもしれません。
日本の兵器は最新のものであるから、負けるはずはない、
という声もあります。
果たしてそうでしょうか。
ヴェトナム戦争、アフガニスタン、イラク、
最新の兵器を持っているはずのアメリカは全戦全勝していますか。
短期間で勝利を収め、民間人は傷つかず、国土は無傷ですか。
自衛隊員ならその命は当初から
事があれば失う覚悟があるのだろうから、失われても良いと思いますか。
彼らにも家族がいるのです。
今回の丸山議員の発言は
仲間内で”受ける”発言を言っただけ、
そんな感覚だったのかもしれません。
ただ、今回はロシアという相手国が聞いていました。
共に”受ける”発言として賛同してくれると思った
訪問団の団長からは否定されてしまいました。
「誤算だった」ということなのかもしれません。
「普段」の仲間内では受ける発言をした「程度」だったのが
思わぬ事態を招いただけなのだという”軽い”認識
なのかもしれません。
それが思わぬ事態を招かないことを願うものですが、
いつか拉致問題でも同様の事態が起きぬことを
併せて願うものです。
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