拉致問題と時間
救う会
拉致問題と時間
①拉致問題は「時間との闘い」なのか?
10月5日は横田めぐみさんの55歳の誕生日で、
各メディアがこの件を取り上げていました。
代表として東京新聞の記事を挙げてみます。
「拉致家族高齢化 時間との闘い」 横田めぐみさん55歳 弟が早期解決を訴え
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201910/CK2019100602000121.html
「北朝鮮による拉致被害者横田めぐみさん=失踪当時(13)=が
55歳の誕生日を迎えた5日、拉致問題への関心を高めようと、
川崎市中原区で「拉致被害者家族を支援するかわさき市民のつどい」
(同市主催)が開かれた。
弟の拓也さん(51)が講演し、
「拉致被害者の家族は高齢化し、時間との闘いを強いられている」
と早期解決を訴えた。」
(以下略)
ここで「時間との闘い」という言葉が出てきています。
時間に関する言及は東京新聞に限りません。
・横田めぐみさん55歳に 弟は「猶予ない」と危機感(共同通信)
・「いらだちが本音」最愛の姉と別れ40年以上、
自身は家族会の中心に(産経新聞)
など、各社同じように、タイトルから「時間がない」ということを
前面に押し出しています。
しかしこの「時間がない」という言い方に、
私達は強烈な違和感を覚えずにはいられません。
まず昨年6月22日のブログ記事「待てるのですか? 待てないのですか?」
serenityprayer323.blog.fc2.com/blog-entry-36.html
で触れましたが、
救う会・家族会はメールニュース(2018/06/20)
「全被害者の即時一括帰国を!6/29(金)特別集会ご案内」の中で、
「家族会は、一刻も早く会いたい気持ちを抑えて、
冷静な対応を求めています。」
と言っています。
また昨年11月10日の記事「拉致問題と差別②」
serenityprayer323.blog.fc2.com/blog-entry-67.html
で触れました。
「11月1日の東京連続集会で以下のような発言がありました。
西岡力氏
「9月の国民大集会で飯塚代表は重大な発言をしました。
私たちの今年の運動方針は、「再度政府に年内の解決を求める」ですが、
飯塚さんは「年内とは言いません」とおっしゃった。
運動方針に反しているんですが、
「でも慎重に、確実にやってほしい。
しかし急いでほしい。期限は切りません」と。
これは情勢をよく分かっていらっしゃって、
「早く」という気持ちと、
「しかし失敗したら大変なことになる」ということが、
飯塚さんにあの言葉を言わせたんじゃないかなと思います。
国民大集会の一番の核心の発言は、
飯塚さんの発言だったと私は思っています。」
また先日の9月16日国民大集会で、
飯塚繁雄家族会代表は以下のように言っています。
www.sukuukai.jp/mailnews/item_7071.html
「私としては、総理に対して「焦らずに」という言葉を使わせてもらいました。
何もしなくていいということではなく、
変に方向を間違えたりしてしまうことの
ないようにということで、私たちの願いはあくまでも拉致被害者の奪還です。
日本に帰国させることです。この目標をはっきりと捕えた上で、
どなたもそれに向かって一心に活動なさっていると思います。
従って私としては、「焦らずに急いで」という言葉がありますかね、
着実に帰国に結びつくためにどうするのかということを常に考えながら
行動してもらいたいと思います。」
これらを読み、救う会・家族会が、現在、
「時間との闘い」だ。
「猶予がない」。
と考えているとは、到底思えません。
「いらだちが本音」であれば、家族会事務局長の横田拓也氏は、
そのいらだちをマスコミに語るのではなく、「焦らずに」と言う、
家族会代表の飯塚繁雄氏にぶつけるべきだと、
誰もが思うのではないでしょうか。
第一、当の横田拓也氏自身が9月16日の国民大集会で、
以下のように言っています。
www.sukuukai.jp/mailnews/item_7103.html
「その意味では今回、トランプ政権は若干メンバーが変わっていくんでしょう。
そして先ほど申し上げましたように、日本政府がまずコミュニケーションを取る
必要がありますが、今後はタイミングをみはからって
家族会、救う会、議連が一緒になって人脈を作るとともに、
私たちの意見を改めて深く打っていくために
活動していかなければならないと思っています。」
よその国にゲタを預けておいて、「時間との闘い」もないでしょう。
「タイミングを見計らって」とありますが、
ストックホルムで米朝会談が行われた前後も、救う会・家族会共に、
全く音無しの構えでした。
日本政府は言うまでもありません。
くどくどと述べましたが、以上によって私達は、
救う会・家族会が、拓也氏が言っているように、
焦っていたり、猶予がないと思っているとは、見なしません。
そこで、なぜ横田拓也氏はマスコミに対して、このような発言をするのか、
を検討してみたいと思います。
彼が「時間がない」という根拠は、上の東京新聞の記事にあるように、
「拉致被害者の家族は高齢化し、時間との闘いを強いられている」
にあります。
拉致被害者の家族が高齢化しているのは事実です。
ですが、今年になって急に高齢化が進んだのではないことは、
言うまでもありません。
高齢になり、拉致被害者である家族に会うこともできずに
お亡くなりになった家族は、すでに何人もいます。
つい先日(10/21)も、
特定失踪者家族の藤田春之助さんがお亡くなりになりました。
https://www.sankei.com/world/news/191021/wor1910210008-n1.html
「拉致濃厚、藤田進さんの95歳父死去
「もうすぐ会える」願いかなわぬまま 被害家族高齢化、募る焦燥感」
だから本当は「時間がない」のではなく「間に合わなかった」
というのが正しいのです。
であるのに、なぜ、「時間がない」と言い続けられるのかといえば、
まだ高齢の拉致被害者家族が何人もいるからです。
しかしこれはおかしいことなのです。
「間に合わなかった」人にとって
、「間に合わなかった」ことは動かし難い事実です。
その人にとっての真実です。
それを「間に合わなかった」ら、残った家族に「時間がない」を引き継ぐのは、
一人一人のかけがえのない人生に対する、冒とくではないでしょうか。
上の記事のタイトルも「「もうすぐ会える」願いかなわぬまま
被害家族高齢化、募る焦燥感」とありますが、
願いをかなえる目標があってこその「募る焦燥感」ではないですか?
そのような冒とくを繰り返し、2002年の5人帰国から数えても、17年に渡って
「時間がない」と言い続け、今も言っている。
17年も時間があったではないか、とは言いません。
ただここで
「時間がない」と言いながら、その一方で「しかし期限は設けない」という、
拉致問題を巡る悪しきシステムに絞って、考察してみようと思います。
②マインドコントロールと時間
拉致問題におけるマインドコントロールについては、
このブログの最初の記事「新しい視点」の8章
「拉致被害者家族はマインド・コントロールにかかっているのか?」
で既にふれました。
serenityprayer323.blog.fc2.com/blog-entry-22.html
今改めて読んでも、特に直す必要はなく、そのまま通ると思います。
ここで「マインドコントロールと時間」という補助線をまず引こうと思います。
なぜなら、「時間がない」と言いながら「しかし期限を設けない」というのは、
終末思想をヒントとした、カルト宗教によくみられる傾向であるからです。
もちろん拉致問題とカルト宗教は関係ありません。
カルト宗教と比較されることに悪意を感じられる方もいるでしょう。
しかし「時間がない」と言いながら「しかし期限を設けない」という、
常識的に無理のある体制をとっている組織は多くはなく、
その少ない類例の中で比較することは、
意味のないこととは思えません。
そこで「マインドコントロールと時間」という観点から、
具体的に「エホバの証人(ものみの塔聖書冊子協会)」を例として
取り上げてみたいと思います。
といっても、「エホバの証人」について、
客観的な立場から網羅的に記述された書籍は、
私の知る限りでは見当たりません。
ですので、カルト宗教からの信者の脱会と社会復帰に尽力されている、
真理のみことば伝道協会(代表ウィリアム・ウッド師)から発行されている
機関紙『truth』(一般の人の目にふれることは余りありませんが)の
記事を基に、「エホバの証人」と時間についての輪郭を
描いてみることにします。
(1)美化される終末のパラダイス、そして美化されるそこに至る苦難の日々
「20年ほど前のことですが、私(筆者注:W・ウッド師)」は
ウクライナのある教会で、
エホバの証人のことについて、講演をしていました。
「エホバの証人は、間もなく、この地上において楽園ができると信じています。
彼らは、その希望に自分のすべてを託して、貧しい生活を我慢しながら、
また、多くの犠牲を払いながら、
一生懸命にものみの塔協会のために働いていますが、
パラダイスが実現したら庭付きの立派な家も与えられ、
戦争も犯罪も貧困もなくなる と信じています。」
ものみの塔の本に掲載されている絵を見せながら、話をしていました。
すると、突然 一人の男性が立ち上がって、こう叫びました。
「それはね、昔から、旧ソ連当局から聞かされていたのと同じ話しだ。」
200人位の会衆から、爆笑が沸き起こりました。
(中略)
カルト化した団体の一般的な特徴として、この世の職場で働く人は、
団体のためにフルタイムで働く「献身者」より
霊的レベルが低いとされています。
(中略)
カルト化した団体には、貧しい生活が美徳化される傾向がある。」
(『truth』162号)
拉致問題に置き換えると→
拉致問題の終末としての「全拉致被害者の即時一括帰国」のいう名の解決は、
現実から遊離した、実現可能性を度外視したものになっています。
そして、現実であれば、長い間離れていたため、必ずあるはずの、
・年をとっているため、見分けがつくか分からない
・長い年月離れていたことによる、コミュニケーション上のギャップ
・北朝鮮国内で新しくできた家族をめぐる問題
・そもそも帰国を望んでいるかも分からない
・長く放置されていたため恨んでいるかも分からない
などの諸問題を全部無視して、
まるで最後の審判におけるように、拉致された家族が、
拉致された時のままの姿(例えば、中学校の制服を着ためぐみさん)で
帰って来るかのような、現実離れしたイメージを振りまいています。
そしてその甘いイメージを全面的に打ち出し、
そのために苦労する拉致被害者家族の姿を持ち出しています。
一部の家族は「被害者を救出するためには、
私たち家族は語らなければならない。言葉が武器だからだ。」等と言い、
通常の社会的な仕事より、講演会を優先しているかのような方もおられます。
時に、社会的仕事から得られる収入より、講演活動から収入を得られるように、
”専従”の活動家になる人もいます。
そして、そのように社会的な仕事から収入が得られない状態であることを
誇りに 感じる場合もあるかもしれません。
生活を切り詰めてまで、”救出活動に身をささげている”のだから、
支援者も、国民ももっと、支援しなければならない、
という「空気」が醸成されてはいませんか?
支援者に「一日も早く拉致被害者と家族が再会できるように」
ボランティアに励むように仕向け、
一般国民には、「拉致問題の解決は国民の義務」と刷り込んだ上で、
「拉致問題解決のための改憲」
「拉致問題解決のための軍事力増強」
「拉致問題解決のための在日コリアン差別」
「拉致問題解決のための北朝鮮憎悪」
などを納得するように仕向けてはいないでしょうか。
(2)戦争状態を望むようになる
終末が来れば、”その後”は平和で幸福な状態になる。
だから、一刻も早く”終末がくればいい”=”戦争がくればいい”
最悪、”終末”到来のための自作自演までする場合もあります。
(これは「エホバの証人」がそうというより、
終末思想に特化したカルト宗教に見られる傾向。
オウム真理教地下鉄サリン事件を思い出してください。
ハルマゲドンの自作自演)
「個人的な喧嘩にしても、国家間の戦争にしてもその根本にあるものは、
自分の利益の最優先、そして自分だけが正しいという主張、
そして、相手は生きる資格のない極悪人であるという思い込み等です。
戦場に送られる兵士の教育は、
相手国の人間を徹底的に憎むことから始まります。
相手を憎まなければ、殺せないからです。
こうしたことを考えると、戦争をなくすための最も重要なことは、
他国の人間との交流だと言えるのではないでしょうか。
相手を知りさえすれば、相手に対する偏見や先入観は必ずなくなります。
しかし、他国人との交流が禁じられ、
他国から発せられる情報が統制されるような事態になると、
再び、醜い裁き合い、憎み合いが始まるのです。」
(truth 162号)
だからこそ、敢えて外部との交流を制限、遮断することがあります。
現在の日本において、思い当たることはないでしょうか?
そして、なにより大事な事は、
戦争により、現世において終末のパラダイスへと行き着くことは、
100%ありません。
あるのは、殉教による死後のパラダイスか地獄だけ。
ということです。
先の戦争では、「玉砕・散華・英霊」等、
全滅、餓死、体がバラバラに吹っ飛ぶような死に方を
美しい言葉で誤魔化しました。
勿論、兵士、その家族に残酷な最後を語ることが辛かったから
という理由はあるでしょうが、現実を見えないようにしたことに変わりはありません。
どこかで戦争を望む人による、「すり替え」が行われているのです。
拉致問題に置き換えると→
・国交正常化は必要ない
・北朝鮮は極悪非道国家である
・北朝鮮のことを知ろうとするな
・北朝鮮は徹底的に痛めつけるしかない
・制裁強化、さらには、自衛隊による救出、
戦争しかないと思わせる、憎悪を煽る。
・救出が全く実現しそうもない、焦燥感、不満、鬱積を全て北朝鮮=悪に集約し
自分たちの正当化を図る
・家族会、救う会の言動は正しい、
国家が国民を武力救出することへの正当化へと繋げる
等々、探すまでもありません。
そればかり、と言ってよいでしょう。
自衛隊による救出を叫ぶ人は多く、
なんと、総理大臣が参加する国民大集会でも、そのような扇動が行われます。
そのことについては以前
「「拉致被害者救出には自衛隊の使用が必要」という人へ」
serenityprayer323.blog.fc2.com/blog-entry-44.html
という記事を書きました。
そのような好戦的な人たちの意見には、一分の理もありません。
武力を用いての拉致被害者救出など、考えられないことです。
そのような主張をする人は、拉致問題をだしにして、戦争を望んでいるだけだ。
と断言致します。
(3)終末とは「何時(いつ)」のことなのか?→誰にも判らない
キリスト教で言えば、天地創造が始点、終末(神の国の到来)が終点です。
しかしながら、その終点が「何時」なのかは人は知ることができない。
(マルコ福音書13:32)
一部カルト集団は、終末を予想した年を設定します=予言(預言ではない)。
そして予言が外れると、ごまかします。
エホバの証人の「1975年」は近年では有名なものです。
1975年に終末が訪れるので、財産を協会へ寄付、あるいは処分し、
結婚も出産もしない、進学もしない、この世のことを整理して
その日を待った信者は大勢います。
しかし、何も起きませんでした。
協会は、「我々は1975年に終末が来るとは言っていない。
断定はしていない。単に~と言っただけ。
周りが勝手にそう解釈し、はずれたと触れ回っているだけ。」等と言い訳をしました。
https://www.stopover.org/lib/Kanazawa/Shuen/chapter09.html
もちろんそこで、協会を離れた信者もいました。
しかし、離れた者は「霊的に低い」等と言い、残った人達も多くいます。
拉致問題に置き換えると→
「(救出が)何時とは、申し上げられないが、今が一番のチャンスと言える。」
「何時まで待てばよいとは申し上げられないが、解決に近づいている。」
「情報源は明かせないが、被害者は生きている。」
「被害者は、~と思っているに違いない。」
「被害者は、~というような最悪の状況に置かれており、今救出しなければ
もう、身心ともに限界にきている。」
などと強迫観念を与えています。
※「取り戻すのは今」という決まり言葉を軸に、
救う会会長西岡氏の言説の変遷をたどったこともあります。
「救う会、会長西岡力氏の言説の変遷」
serenityprayer323.blog.fc2.com/blog-entry-90.html
これらで、家族・善良なるボランティア・国民に期待を持たせ、希望を抱かせ、
恐れを与えて、心を縛っています。
しかし、それが「何時」なのかは全く曖昧なのです。
「いつまでも、チャンスだと言いながら何も成果はない。詐欺のようだ。」
という人達には、北朝鮮の手先、人としての情がない等の批判をし、
「仲間」から排除する。
私達も救う会時代に、異議を唱えると、よく言われました。
「分派活動はやめろ!」
「分派活動は北朝鮮を利するだけだ!」
「時間がない・残り少ない」という、切迫した感覚は、
家族や善良なるボランティアに
より一層”活動”に励むように仕向ける理由となるのです。
そして何よりも大事な事は、
その”活動”は「拉致被害者を救出する活動」ではないことです。
バッジを着けたり、署名を1千万筆以上集めて、何か成果はあったでしょうか?
全くありません。
では何の活動か?
もう既に述べましたので繰り返しません。
③カルト宗教とならないために
②では拉致の運動とカルト宗教「エホバの証人」を比較し、
類似性を指摘しました。
さて、それによって私達は
「このような問題を孕んだ拉致の運動など止めてしまえ」
と言いたいのではありません。
逆です。
「現実に沿ったかたちで」拉致問題を解決するべきだと思うのです。
「エホバの証人」が聖書を曲解しても、聖書に罪はないように、
拉致問題を曲解しなければよいのです。
だからこそ、このブログで繰り返し「全拉致被害者の即時一括帰国」という、
カルト宗教における終末のパラダイスのように現実味がなく、
だからこそ永遠にかなえられることのない、
救う会・家族会の目標を批判してきました。
地に足のついた拉致問題の解決は、
決して高らかな歓喜のラッパの音に包まれたものではあり得ず、
現実の痛み・苦味・苦しみを含んだものであるはずだからです。
たとえばそれは、拉致被害者が北朝鮮での家族との生活を壊したくない為に
帰国を望まない、日朝往来が可能になればそれで十分という選択をする場合、
又は拉致被害者が既に死亡している、という大変辛い現実も
無いとは言えないということも含みます。
しかし、それを認め、受け入れる気がなければ拉致問題の解決はありえません。
なぜなら、現実に余りにも長い「時間」が、既に過ぎ去ってしまったからです。
「時間」とはそういうものでしょう。
誰だってそのことは分かっているはずです。
なぜ「拉致問題における時間」のみがそれを逃れられるでしょう。
これまでに掲載したブログ記事にも、何度も
「人の命は永遠ではない」と申し上げております。
逃れようとして、たどり着くのは「パラダイスの蜃気楼」の下の生き地獄です。
大事な事は、生き地獄行きの道以外にも、道はあることなのです。
もちろんパラダイスではなく、現実の苦味を含んだものではありますが。
苦い現実と向き合った拉致問題の解決については、
「拉致問題の常識的な解決に向けて」
serenityprayer323.blog.fc2.com/blog-entry-103.html
で以前書きました。
修正が必要な部分はありません。
常識的な解決に至る道筋はこの記事で全て述べてあります。
しかし「カルト宗教とならないために」という趣旨から、
「拉致問題と時間」の常識的なあり方について、
最後に触れておきたいと思います。
最初に述べましたが、
拉致被害者の家族が高齢化しているのは事実です。
時間がないのも事実です。
何に対して時間がないのか。
家族が元気なうちに、再会するための時間がないのです。
そう考えれば、現在一番時間がないのは、
入院中の横田滋さんという他ありません。
もちろん今すぐ横田めぐみさんに会わせることができれば、
それがベストの結果でしょう。
しかしそれは可能なのでしょうか?
その点ベターな選択として、先日
「横田夫妻とウンギョンさんとの面会」
http://serenityprayer323.blog.fc2.com/blog-entry-108.html
という記事を書きました。
これに批判はあるかもしれません。
ベストな選択でなく、ベターな選択ですから、批判の余地があるのは当然です。
しかし「全拉致被害者の即時一括帰国」以外認めない、
という救う会・家族会の空念仏は、病床で苦しんでいる滋さんに、
どんな救いを与えるというのでしょう?
「全拉致被害者の即時一括帰国」はオールオアナッシングの目標で、
オールが達成される可能性はありません。
そこにあるのはナッシングのみです。
そんな残酷な幕引きを認められないからこそ、
私達は救う会・家族会とその後ろにいる日本政府を批判しています。
ベターな結末を求めています。
このオールオアナッシングな救う会・家族会の主張に対する批判は
当ブログ「「全拉致被害者即時一括帰国」という欺瞞」
http://serenityprayer323.blog.fc2.com/blog-entry-71.html
をご参照ください。
だからここで言いたいのは、
もし、横田滋さんにベターな結末を用意する可能性がありながら、
それを妨げ、ナッシングで終わらせるようなことがあれば、
そのような選択をし、それを滋さんに押し付けた人たちは責任をとれ!
ということです。
責任をとるとはどういうことか?
救う会・家族会の役職者、そして拉致問題に関係した政府関係者は、全員辞任して、
今後一切拉致問題に関わるな、ということです。
その時に、自分達の責任を棚に上げ
「なんと残酷な北朝鮮!」というようなキャンペーンを展開してはならない、
次の高齢の拉致被害者家族に「時間がない」を引き継いだりしてはならない、
ということです。
「いのちと死、祝福とのろいをあなたの前に置く。
あなたはいのちを選びなさい。」申命記30章19節
人が発した呪縛に囚われてはなりません。
与えられた環境、条件の中で
何が「最良」なのかを考え、決断し、選ばなければなりません。
さあ、拉致問題のために残された「時間」は本当に少なくなりました。
救う会会長の西岡力氏は嫌韓活動で大忙しで、
救う会副会長の島田洋一氏は、ラグビーについてツイートしています。
にせ予言者から、私達は「時間」を取り戻さなければなりません。
限りある、そしてかけがえのない「一人の人間の命の時間」を。
①拉致問題は「時間との闘い」なのか?
10月5日は横田めぐみさんの55歳の誕生日で、
各メディアがこの件を取り上げていました。
代表として東京新聞の記事を挙げてみます。
「拉致家族高齢化 時間との闘い」 横田めぐみさん55歳 弟が早期解決を訴え
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201910/CK2019100602000121.html
「北朝鮮による拉致被害者横田めぐみさん=失踪当時(13)=が
55歳の誕生日を迎えた5日、拉致問題への関心を高めようと、
川崎市中原区で「拉致被害者家族を支援するかわさき市民のつどい」
(同市主催)が開かれた。
弟の拓也さん(51)が講演し、
「拉致被害者の家族は高齢化し、時間との闘いを強いられている」
と早期解決を訴えた。」
(以下略)
ここで「時間との闘い」という言葉が出てきています。
時間に関する言及は東京新聞に限りません。
・横田めぐみさん55歳に 弟は「猶予ない」と危機感(共同通信)
・「いらだちが本音」最愛の姉と別れ40年以上、
自身は家族会の中心に(産経新聞)
など、各社同じように、タイトルから「時間がない」ということを
前面に押し出しています。
しかしこの「時間がない」という言い方に、
私達は強烈な違和感を覚えずにはいられません。
まず昨年6月22日のブログ記事「待てるのですか? 待てないのですか?」
serenityprayer323.blog.fc2.com/blog-entry-36.html
で触れましたが、
救う会・家族会はメールニュース(2018/06/20)
「全被害者の即時一括帰国を!6/29(金)特別集会ご案内」の中で、
「家族会は、一刻も早く会いたい気持ちを抑えて、
冷静な対応を求めています。」
と言っています。
また昨年11月10日の記事「拉致問題と差別②」
serenityprayer323.blog.fc2.com/blog-entry-67.html
で触れました。
「11月1日の東京連続集会で以下のような発言がありました。
西岡力氏
「9月の国民大集会で飯塚代表は重大な発言をしました。
私たちの今年の運動方針は、「再度政府に年内の解決を求める」ですが、
飯塚さんは「年内とは言いません」とおっしゃった。
運動方針に反しているんですが、
「でも慎重に、確実にやってほしい。
しかし急いでほしい。期限は切りません」と。
これは情勢をよく分かっていらっしゃって、
「早く」という気持ちと、
「しかし失敗したら大変なことになる」ということが、
飯塚さんにあの言葉を言わせたんじゃないかなと思います。
国民大集会の一番の核心の発言は、
飯塚さんの発言だったと私は思っています。」
また先日の9月16日国民大集会で、
飯塚繁雄家族会代表は以下のように言っています。
www.sukuukai.jp/mailnews/item_7071.html
「私としては、総理に対して「焦らずに」という言葉を使わせてもらいました。
何もしなくていいということではなく、
変に方向を間違えたりしてしまうことの
ないようにということで、私たちの願いはあくまでも拉致被害者の奪還です。
日本に帰国させることです。この目標をはっきりと捕えた上で、
どなたもそれに向かって一心に活動なさっていると思います。
従って私としては、「焦らずに急いで」という言葉がありますかね、
着実に帰国に結びつくためにどうするのかということを常に考えながら
行動してもらいたいと思います。」
これらを読み、救う会・家族会が、現在、
「時間との闘い」だ。
「猶予がない」。
と考えているとは、到底思えません。
「いらだちが本音」であれば、家族会事務局長の横田拓也氏は、
そのいらだちをマスコミに語るのではなく、「焦らずに」と言う、
家族会代表の飯塚繁雄氏にぶつけるべきだと、
誰もが思うのではないでしょうか。
第一、当の横田拓也氏自身が9月16日の国民大集会で、
以下のように言っています。
www.sukuukai.jp/mailnews/item_7103.html
「その意味では今回、トランプ政権は若干メンバーが変わっていくんでしょう。
そして先ほど申し上げましたように、日本政府がまずコミュニケーションを取る
必要がありますが、今後はタイミングをみはからって
家族会、救う会、議連が一緒になって人脈を作るとともに、
私たちの意見を改めて深く打っていくために
活動していかなければならないと思っています。」
よその国にゲタを預けておいて、「時間との闘い」もないでしょう。
「タイミングを見計らって」とありますが、
ストックホルムで米朝会談が行われた前後も、救う会・家族会共に、
全く音無しの構えでした。
日本政府は言うまでもありません。
くどくどと述べましたが、以上によって私達は、
救う会・家族会が、拓也氏が言っているように、
焦っていたり、猶予がないと思っているとは、見なしません。
そこで、なぜ横田拓也氏はマスコミに対して、このような発言をするのか、
を検討してみたいと思います。
彼が「時間がない」という根拠は、上の東京新聞の記事にあるように、
「拉致被害者の家族は高齢化し、時間との闘いを強いられている」
にあります。
拉致被害者の家族が高齢化しているのは事実です。
ですが、今年になって急に高齢化が進んだのではないことは、
言うまでもありません。
高齢になり、拉致被害者である家族に会うこともできずに
お亡くなりになった家族は、すでに何人もいます。
つい先日(10/21)も、
特定失踪者家族の藤田春之助さんがお亡くなりになりました。
https://www.sankei.com/world/news/191021/wor1910210008-n1.html
「拉致濃厚、藤田進さんの95歳父死去
「もうすぐ会える」願いかなわぬまま 被害家族高齢化、募る焦燥感」
だから本当は「時間がない」のではなく「間に合わなかった」
というのが正しいのです。
であるのに、なぜ、「時間がない」と言い続けられるのかといえば、
まだ高齢の拉致被害者家族が何人もいるからです。
しかしこれはおかしいことなのです。
「間に合わなかった」人にとって
、「間に合わなかった」ことは動かし難い事実です。
その人にとっての真実です。
それを「間に合わなかった」ら、残った家族に「時間がない」を引き継ぐのは、
一人一人のかけがえのない人生に対する、冒とくではないでしょうか。
上の記事のタイトルも「「もうすぐ会える」願いかなわぬまま
被害家族高齢化、募る焦燥感」とありますが、
願いをかなえる目標があってこその「募る焦燥感」ではないですか?
そのような冒とくを繰り返し、2002年の5人帰国から数えても、17年に渡って
「時間がない」と言い続け、今も言っている。
17年も時間があったではないか、とは言いません。
ただここで
「時間がない」と言いながら、その一方で「しかし期限は設けない」という、
拉致問題を巡る悪しきシステムに絞って、考察してみようと思います。
②マインドコントロールと時間
拉致問題におけるマインドコントロールについては、
このブログの最初の記事「新しい視点」の8章
「拉致被害者家族はマインド・コントロールにかかっているのか?」
で既にふれました。
serenityprayer323.blog.fc2.com/blog-entry-22.html
今改めて読んでも、特に直す必要はなく、そのまま通ると思います。
ここで「マインドコントロールと時間」という補助線をまず引こうと思います。
なぜなら、「時間がない」と言いながら「しかし期限を設けない」というのは、
終末思想をヒントとした、カルト宗教によくみられる傾向であるからです。
もちろん拉致問題とカルト宗教は関係ありません。
カルト宗教と比較されることに悪意を感じられる方もいるでしょう。
しかし「時間がない」と言いながら「しかし期限を設けない」という、
常識的に無理のある体制をとっている組織は多くはなく、
その少ない類例の中で比較することは、
意味のないこととは思えません。
そこで「マインドコントロールと時間」という観点から、
具体的に「エホバの証人(ものみの塔聖書冊子協会)」を例として
取り上げてみたいと思います。
といっても、「エホバの証人」について、
客観的な立場から網羅的に記述された書籍は、
私の知る限りでは見当たりません。
ですので、カルト宗教からの信者の脱会と社会復帰に尽力されている、
真理のみことば伝道協会(代表ウィリアム・ウッド師)から発行されている
機関紙『truth』(一般の人の目にふれることは余りありませんが)の
記事を基に、「エホバの証人」と時間についての輪郭を
描いてみることにします。
(1)美化される終末のパラダイス、そして美化されるそこに至る苦難の日々
「20年ほど前のことですが、私(筆者注:W・ウッド師)」は
ウクライナのある教会で、
エホバの証人のことについて、講演をしていました。
「エホバの証人は、間もなく、この地上において楽園ができると信じています。
彼らは、その希望に自分のすべてを託して、貧しい生活を我慢しながら、
また、多くの犠牲を払いながら、
一生懸命にものみの塔協会のために働いていますが、
パラダイスが実現したら庭付きの立派な家も与えられ、
戦争も犯罪も貧困もなくなる と信じています。」
ものみの塔の本に掲載されている絵を見せながら、話をしていました。
すると、突然 一人の男性が立ち上がって、こう叫びました。
「それはね、昔から、旧ソ連当局から聞かされていたのと同じ話しだ。」
200人位の会衆から、爆笑が沸き起こりました。
(中略)
カルト化した団体の一般的な特徴として、この世の職場で働く人は、
団体のためにフルタイムで働く「献身者」より
霊的レベルが低いとされています。
(中略)
カルト化した団体には、貧しい生活が美徳化される傾向がある。」
(『truth』162号)
拉致問題に置き換えると→
拉致問題の終末としての「全拉致被害者の即時一括帰国」のいう名の解決は、
現実から遊離した、実現可能性を度外視したものになっています。
そして、現実であれば、長い間離れていたため、必ずあるはずの、
・年をとっているため、見分けがつくか分からない
・長い年月離れていたことによる、コミュニケーション上のギャップ
・北朝鮮国内で新しくできた家族をめぐる問題
・そもそも帰国を望んでいるかも分からない
・長く放置されていたため恨んでいるかも分からない
などの諸問題を全部無視して、
まるで最後の審判におけるように、拉致された家族が、
拉致された時のままの姿(例えば、中学校の制服を着ためぐみさん)で
帰って来るかのような、現実離れしたイメージを振りまいています。
そしてその甘いイメージを全面的に打ち出し、
そのために苦労する拉致被害者家族の姿を持ち出しています。
一部の家族は「被害者を救出するためには、
私たち家族は語らなければならない。言葉が武器だからだ。」等と言い、
通常の社会的な仕事より、講演会を優先しているかのような方もおられます。
時に、社会的仕事から得られる収入より、講演活動から収入を得られるように、
”専従”の活動家になる人もいます。
そして、そのように社会的な仕事から収入が得られない状態であることを
誇りに 感じる場合もあるかもしれません。
生活を切り詰めてまで、”救出活動に身をささげている”のだから、
支援者も、国民ももっと、支援しなければならない、
という「空気」が醸成されてはいませんか?
支援者に「一日も早く拉致被害者と家族が再会できるように」
ボランティアに励むように仕向け、
一般国民には、「拉致問題の解決は国民の義務」と刷り込んだ上で、
「拉致問題解決のための改憲」
「拉致問題解決のための軍事力増強」
「拉致問題解決のための在日コリアン差別」
「拉致問題解決のための北朝鮮憎悪」
などを納得するように仕向けてはいないでしょうか。
(2)戦争状態を望むようになる
終末が来れば、”その後”は平和で幸福な状態になる。
だから、一刻も早く”終末がくればいい”=”戦争がくればいい”
最悪、”終末”到来のための自作自演までする場合もあります。
(これは「エホバの証人」がそうというより、
終末思想に特化したカルト宗教に見られる傾向。
オウム真理教地下鉄サリン事件を思い出してください。
ハルマゲドンの自作自演)
「個人的な喧嘩にしても、国家間の戦争にしてもその根本にあるものは、
自分の利益の最優先、そして自分だけが正しいという主張、
そして、相手は生きる資格のない極悪人であるという思い込み等です。
戦場に送られる兵士の教育は、
相手国の人間を徹底的に憎むことから始まります。
相手を憎まなければ、殺せないからです。
こうしたことを考えると、戦争をなくすための最も重要なことは、
他国の人間との交流だと言えるのではないでしょうか。
相手を知りさえすれば、相手に対する偏見や先入観は必ずなくなります。
しかし、他国人との交流が禁じられ、
他国から発せられる情報が統制されるような事態になると、
再び、醜い裁き合い、憎み合いが始まるのです。」
(truth 162号)
だからこそ、敢えて外部との交流を制限、遮断することがあります。
現在の日本において、思い当たることはないでしょうか?
そして、なにより大事な事は、
戦争により、現世において終末のパラダイスへと行き着くことは、
100%ありません。
あるのは、殉教による死後のパラダイスか地獄だけ。
ということです。
先の戦争では、「玉砕・散華・英霊」等、
全滅、餓死、体がバラバラに吹っ飛ぶような死に方を
美しい言葉で誤魔化しました。
勿論、兵士、その家族に残酷な最後を語ることが辛かったから
という理由はあるでしょうが、現実を見えないようにしたことに変わりはありません。
どこかで戦争を望む人による、「すり替え」が行われているのです。
拉致問題に置き換えると→
・国交正常化は必要ない
・北朝鮮は極悪非道国家である
・北朝鮮のことを知ろうとするな
・北朝鮮は徹底的に痛めつけるしかない
・制裁強化、さらには、自衛隊による救出、
戦争しかないと思わせる、憎悪を煽る。
・救出が全く実現しそうもない、焦燥感、不満、鬱積を全て北朝鮮=悪に集約し
自分たちの正当化を図る
・家族会、救う会の言動は正しい、
国家が国民を武力救出することへの正当化へと繋げる
等々、探すまでもありません。
そればかり、と言ってよいでしょう。
自衛隊による救出を叫ぶ人は多く、
なんと、総理大臣が参加する国民大集会でも、そのような扇動が行われます。
そのことについては以前
「「拉致被害者救出には自衛隊の使用が必要」という人へ」
serenityprayer323.blog.fc2.com/blog-entry-44.html
という記事を書きました。
そのような好戦的な人たちの意見には、一分の理もありません。
武力を用いての拉致被害者救出など、考えられないことです。
そのような主張をする人は、拉致問題をだしにして、戦争を望んでいるだけだ。
と断言致します。
(3)終末とは「何時(いつ)」のことなのか?→誰にも判らない
キリスト教で言えば、天地創造が始点、終末(神の国の到来)が終点です。
しかしながら、その終点が「何時」なのかは人は知ることができない。
(マルコ福音書13:32)
一部カルト集団は、終末を予想した年を設定します=予言(預言ではない)。
そして予言が外れると、ごまかします。
エホバの証人の「1975年」は近年では有名なものです。
1975年に終末が訪れるので、財産を協会へ寄付、あるいは処分し、
結婚も出産もしない、進学もしない、この世のことを整理して
その日を待った信者は大勢います。
しかし、何も起きませんでした。
協会は、「我々は1975年に終末が来るとは言っていない。
断定はしていない。単に~と言っただけ。
周りが勝手にそう解釈し、はずれたと触れ回っているだけ。」等と言い訳をしました。
https://www.stopover.org/lib/Kanazawa/Shuen/chapter09.html
もちろんそこで、協会を離れた信者もいました。
しかし、離れた者は「霊的に低い」等と言い、残った人達も多くいます。
拉致問題に置き換えると→
「(救出が)何時とは、申し上げられないが、今が一番のチャンスと言える。」
「何時まで待てばよいとは申し上げられないが、解決に近づいている。」
「情報源は明かせないが、被害者は生きている。」
「被害者は、~と思っているに違いない。」
「被害者は、~というような最悪の状況に置かれており、今救出しなければ
もう、身心ともに限界にきている。」
などと強迫観念を与えています。
※「取り戻すのは今」という決まり言葉を軸に、
救う会会長西岡氏の言説の変遷をたどったこともあります。
「救う会、会長西岡力氏の言説の変遷」
serenityprayer323.blog.fc2.com/blog-entry-90.html
これらで、家族・善良なるボランティア・国民に期待を持たせ、希望を抱かせ、
恐れを与えて、心を縛っています。
しかし、それが「何時」なのかは全く曖昧なのです。
「いつまでも、チャンスだと言いながら何も成果はない。詐欺のようだ。」
という人達には、北朝鮮の手先、人としての情がない等の批判をし、
「仲間」から排除する。
私達も救う会時代に、異議を唱えると、よく言われました。
「分派活動はやめろ!」
「分派活動は北朝鮮を利するだけだ!」
「時間がない・残り少ない」という、切迫した感覚は、
家族や善良なるボランティアに
より一層”活動”に励むように仕向ける理由となるのです。
そして何よりも大事な事は、
その”活動”は「拉致被害者を救出する活動」ではないことです。
バッジを着けたり、署名を1千万筆以上集めて、何か成果はあったでしょうか?
全くありません。
では何の活動か?
もう既に述べましたので繰り返しません。
③カルト宗教とならないために
②では拉致の運動とカルト宗教「エホバの証人」を比較し、
類似性を指摘しました。
さて、それによって私達は
「このような問題を孕んだ拉致の運動など止めてしまえ」
と言いたいのではありません。
逆です。
「現実に沿ったかたちで」拉致問題を解決するべきだと思うのです。
「エホバの証人」が聖書を曲解しても、聖書に罪はないように、
拉致問題を曲解しなければよいのです。
だからこそ、このブログで繰り返し「全拉致被害者の即時一括帰国」という、
カルト宗教における終末のパラダイスのように現実味がなく、
だからこそ永遠にかなえられることのない、
救う会・家族会の目標を批判してきました。
地に足のついた拉致問題の解決は、
決して高らかな歓喜のラッパの音に包まれたものではあり得ず、
現実の痛み・苦味・苦しみを含んだものであるはずだからです。
たとえばそれは、拉致被害者が北朝鮮での家族との生活を壊したくない為に
帰国を望まない、日朝往来が可能になればそれで十分という選択をする場合、
又は拉致被害者が既に死亡している、という大変辛い現実も
無いとは言えないということも含みます。
しかし、それを認め、受け入れる気がなければ拉致問題の解決はありえません。
なぜなら、現実に余りにも長い「時間」が、既に過ぎ去ってしまったからです。
「時間」とはそういうものでしょう。
誰だってそのことは分かっているはずです。
なぜ「拉致問題における時間」のみがそれを逃れられるでしょう。
これまでに掲載したブログ記事にも、何度も
「人の命は永遠ではない」と申し上げております。
逃れようとして、たどり着くのは「パラダイスの蜃気楼」の下の生き地獄です。
大事な事は、生き地獄行きの道以外にも、道はあることなのです。
もちろんパラダイスではなく、現実の苦味を含んだものではありますが。
苦い現実と向き合った拉致問題の解決については、
「拉致問題の常識的な解決に向けて」
serenityprayer323.blog.fc2.com/blog-entry-103.html
で以前書きました。
修正が必要な部分はありません。
常識的な解決に至る道筋はこの記事で全て述べてあります。
しかし「カルト宗教とならないために」という趣旨から、
「拉致問題と時間」の常識的なあり方について、
最後に触れておきたいと思います。
最初に述べましたが、
拉致被害者の家族が高齢化しているのは事実です。
時間がないのも事実です。
何に対して時間がないのか。
家族が元気なうちに、再会するための時間がないのです。
そう考えれば、現在一番時間がないのは、
入院中の横田滋さんという他ありません。
もちろん今すぐ横田めぐみさんに会わせることができれば、
それがベストの結果でしょう。
しかしそれは可能なのでしょうか?
その点ベターな選択として、先日
「横田夫妻とウンギョンさんとの面会」
http://serenityprayer323.blog.fc2.com/blog-entry-108.html
という記事を書きました。
これに批判はあるかもしれません。
ベストな選択でなく、ベターな選択ですから、批判の余地があるのは当然です。
しかし「全拉致被害者の即時一括帰国」以外認めない、
という救う会・家族会の空念仏は、病床で苦しんでいる滋さんに、
どんな救いを与えるというのでしょう?
「全拉致被害者の即時一括帰国」はオールオアナッシングの目標で、
オールが達成される可能性はありません。
そこにあるのはナッシングのみです。
そんな残酷な幕引きを認められないからこそ、
私達は救う会・家族会とその後ろにいる日本政府を批判しています。
ベターな結末を求めています。
このオールオアナッシングな救う会・家族会の主張に対する批判は
当ブログ「「全拉致被害者即時一括帰国」という欺瞞」
http://serenityprayer323.blog.fc2.com/blog-entry-71.html
をご参照ください。
だからここで言いたいのは、
もし、横田滋さんにベターな結末を用意する可能性がありながら、
それを妨げ、ナッシングで終わらせるようなことがあれば、
そのような選択をし、それを滋さんに押し付けた人たちは責任をとれ!
ということです。
責任をとるとはどういうことか?
救う会・家族会の役職者、そして拉致問題に関係した政府関係者は、全員辞任して、
今後一切拉致問題に関わるな、ということです。
その時に、自分達の責任を棚に上げ
「なんと残酷な北朝鮮!」というようなキャンペーンを展開してはならない、
次の高齢の拉致被害者家族に「時間がない」を引き継いだりしてはならない、
ということです。
「いのちと死、祝福とのろいをあなたの前に置く。
あなたはいのちを選びなさい。」申命記30章19節
人が発した呪縛に囚われてはなりません。
与えられた環境、条件の中で
何が「最良」なのかを考え、決断し、選ばなければなりません。
さあ、拉致問題のために残された「時間」は本当に少なくなりました。
救う会会長の西岡力氏は嫌韓活動で大忙しで、
救う会副会長の島田洋一氏は、ラグビーについてツイートしています。
にせ予言者から、私達は「時間」を取り戻さなければなりません。
限りある、そしてかけがえのない「一人の人間の命の時間」を。
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