平成29年12月21 参議院拉致特別委員会
捏造新聞はどちらか:資料
平成29年12月21 参議院拉致特別委員会
有田芳生参議院議員
えー 有田芳生です。お疲れ様です。
まず、私は質問する自分の立場、スタンス、皆さんに対する思いをまず、お伝えをしたいという風に思います。
鎌倉の建長寺に映画監督の大島渚さんのお墓があります。
そこに、大島さんの大好きな言葉が刻まれております。明石海人(アカシ カイジン)という人の短歌なんですけれども
「深海に生きる魚属のように自らが燃えなければどこにも光はない」海の深い底にいる魚たちが、自分達が燃えることによって、
周りに光を与えていく。このことは大島さんの人生訓でもあったんですけれども。
私は失礼ながら被害者ご家族の皆様方の、この長い年月を拝見をしてきて、
やはり皆さんは政府あるいは政治家に対してお願いをする立場である。
だけれども、同時にもはや時間がない、という状況の中でなるべく思いのたけを
政府や私達政治家にも語っていただきたいという風に思っております。
その立場で、まず横田参考人にお聞きをしたいのですが、トランプ大統領に皆様がお会いをしたときに、私が聞いている限りでは、1人1分しかお話をする時間がなかったという風に伺っておりますけれども、横田参考人は11月15日、めぐみさんが北朝鮮によって拉致をされた40年目の記者会見の時に、こう語っていらっしゃいます。
「被害者には元気でいて欲しいので、安倍晋三首相とトランプ大統領がなんとか戦争が起きないように考えていただき、ぎりぎりのところで良い智恵があたえられて解決に向かって欲しい。」
そのような記者会見の内容だったんですけれども。
今朝の新聞を見ても今にも米朝が戦争になるかのような本が立て続けに発売をされて。
あるいは国際報道として、そういう状況が続いている中で、もしトランプ大統領ともう少し時間をとって話しをする機会があったならば、横田参考人はどんなことを大統領にお伝えしたかったのでしょうか。
横田早紀江参考人
あの日はちょっと、先ほどもお話をしましたように、風邪をひきまして、4日前にもう全く声が出なくなりまして。
その日、もう大統領にお話ができるかなと非常に心配をしておりまして、出かけました。
それで、あのう、やっぱり国連でのお話をしてくださったこと、拉致問題について。
日本にこのような少女が、拉致をされてる人がいるんだということを話してくださったことに対しての、
私は本当に感動しましたので、お礼を申し上げましたのと、お忙しい中で今日時間を作っていただいて、
家族に会っていただいてありがとうございますと。
そこまでは一所懸命、なんとか絞り出して言ったんですが、目の前にいらっしゃいますし、咳も出そうな感じですし、
あんまり失礼かなと思って、もうそれ以上声があんまりでそうにないので、もうこれで結構ですと言いました。
そしたら、もういいんですかと政府の方もおっしゃったんですが、ちょっともうすみませんと言って、
それで黙ってしまったんですけれども。
あのう、どういう風にお話をしていいか、っておっしゃると私も、こんな難しい問題をどうしてください、こうしたら絶対良くなりますよとかそんな知恵もありませんし、どうしていいかって判りませんけれども。
やっぱり、あの一番怖いのは戦争。戦争にならないことを私は一番願っております。
どこの国も戦争はしちゃいけないと思っておりますので、戦争にはならないようにしていただきたいということと、
そしてあのう、トランプ大統領も後でおっしゃっていたように、こんなに年少な子供、未成年ですね、拉致をして、
自分の国に留めおいて、返してこない、姿も見えないようにしている。
そして家族の人達は40年間も悲しみ、苦しんでいるとこんなことはあってはいけないと、はっきりと仰ってくださっていますので、
そういった人道的な意味で、ちゃんととらえていてくださると思っておりますので、
そのあとのことは日本の総理大臣そしてトランプ大統領、いろんな各国の大統領も意見の違う方もおりますし
、国々によって違いますから、非常にこれは一つにしていくのは難しいんだなといつも思っておりますので。
どんなことをと言われてもですね、ただ家族、犠牲になった者達の命を助けて下さいと、私たちは立ち上がったんです、最初。
そんなところに連れていかれたなんて思っていなかったんです。
どこに行っちゃったんだろうって探し回っていた子がそこに生きてたんです。
そして蓮池さんたちも生きて、一緒になって写真をもって、お父さんお母さんみんなとこの子を助けてくださいって、
署名活動も何度も訴えてやってた方が本当に帰ってこられたんですね。
もう、完全な現実なんですね。真実だったんです。
そのことが本当なんですっていうことを判ってくださったということがこの間のことだったので、それはもう、一人のお父様として、
私たちも両親ですから、どの方もみんなそうですから。
本当に大事な子供を奪われたままで何にもない、見えない。
息遣いさえ聞こえないっていう40年というものを本当にご理解いただきたいと思います。
だから、言葉にだしてどういう風に言ったらいいですかとか、そういう論理的な問題では、
私たちはもう申し上げることはできませんし、返してくださいとただ言っているだけなんで、
それは政府がしていただくことだと思っております。
有田芳生参議院議員
本当に限られた時間なので申し訳ないんですが、やはり横田参考人にお伺いしたいんですけれども、
11月15日の記者会見の中で、私、驚いた表現がありました。
早紀江さんはこう語っていらっしゃる。
「ありとあらゆることをして訴えてきました。政府は一所懸命知恵を絞って下さっていると思いましたが、
40年経っても何も判らない状況に一体何だろうか、信じて良かったかの思いが家族にはあります。」と、そう会見で仰ってた。
同じく12月6日に神奈川新聞のインタビューに答えられた中で、7日付なんですけれども
「政府の本気度が見えないことが北朝鮮には伝わる。本来なら首相が乗り込んででも解決すべき問題なのに。」
その流れの中で、早紀江さんが
「北朝鮮に行けと言われたなら、最後の力を振り絞ってでも行きたい。(そして金正恩に対して)返してください、と言いたい。」と、
そういうインタビューなんですけれども。
やはり、政府なり私達政治家に対する、「一体何なんだ」という「信じて良かったんだろうか」という思いは
率直なところでおありなんでしょうか。
横田早紀江参考人
これは、私一人の意見ではなくて、私達があちらこちらで活動をしております中で、年ごとにですね、
国民の方々が今のような形で、はっきりと仰ることが多くなりました。
本当に日本てなにしているんでしょうね、って。こんな大変な問題、大問題だし。
もう本当に大変な命の問題、これだけの命が奪われているのに。それが帰りたいと思っても帰れない。
それで、これだけのみんなが活動して、応援もしているのに、どうして何にも動かないのかっていうことは、
皆さんの思いなんですね。日本中の思いなんです。
私は有本のお父様ともよくお話しをしますが、北朝鮮に行けっていわれれば、
僕はいつでも行ってでも返してくれって言いたいよって仰います。私もそうですよ、おんなじですよ、
元気でいれば今ならそれはできますねって、話しをしております。
そのようなことを、そのような形で言ったことがああいう風に書かれている訳です。
そして、もう一つなんでしたっけ?現代(日刊ゲンダイ?)?神奈川新聞でしたっけね。それが今のことですね。
私が自分で行きたいって言ったわけじゃなくてですね、政府がそういう風な形で家族が本気で言うように、
一緒に行こうというようなことでもあれば、喜んで行きます、って言った言葉がああいう風に載ってるので。
それは違うんじゃないかということで、「抗議をしなさい」と息子からメールがきたんですけれども、
もう面倒臭いことをぐちゃぐちゃ言いたくないので、もう何を思っていただいても結構ですよということで、
私は何も言いませんでしたけれども。
そういう風に1つ1つの言葉をですね、私たちはもう必死で言ってても、いろんな形で、
そういう風に取り上げられなきゃならないような状況の中におりますので、何十年もそれを堪えてきました。
でも、本当に良くしてきていただいたと思います。
皆さん方に本当に助けていただいて、温かいご支援の中で、今日まで来られたということは、本当に感謝しております。
有田芳生参議院議員
えー 有田芳生です。お疲れ様です。
まず、私は質問する自分の立場、スタンス、皆さんに対する思いをまず、お伝えをしたいという風に思います。
鎌倉の建長寺に映画監督の大島渚さんのお墓があります。
そこに、大島さんの大好きな言葉が刻まれております。明石海人(アカシ カイジン)という人の短歌なんですけれども
「深海に生きる魚属のように自らが燃えなければどこにも光はない」海の深い底にいる魚たちが、自分達が燃えることによって、
周りに光を与えていく。このことは大島さんの人生訓でもあったんですけれども。
私は失礼ながら被害者ご家族の皆様方の、この長い年月を拝見をしてきて、
やはり皆さんは政府あるいは政治家に対してお願いをする立場である。
だけれども、同時にもはや時間がない、という状況の中でなるべく思いのたけを
政府や私達政治家にも語っていただきたいという風に思っております。
その立場で、まず横田参考人にお聞きをしたいのですが、トランプ大統領に皆様がお会いをしたときに、私が聞いている限りでは、1人1分しかお話をする時間がなかったという風に伺っておりますけれども、横田参考人は11月15日、めぐみさんが北朝鮮によって拉致をされた40年目の記者会見の時に、こう語っていらっしゃいます。
「被害者には元気でいて欲しいので、安倍晋三首相とトランプ大統領がなんとか戦争が起きないように考えていただき、ぎりぎりのところで良い智恵があたえられて解決に向かって欲しい。」
そのような記者会見の内容だったんですけれども。
今朝の新聞を見ても今にも米朝が戦争になるかのような本が立て続けに発売をされて。
あるいは国際報道として、そういう状況が続いている中で、もしトランプ大統領ともう少し時間をとって話しをする機会があったならば、横田参考人はどんなことを大統領にお伝えしたかったのでしょうか。
横田早紀江参考人
あの日はちょっと、先ほどもお話をしましたように、風邪をひきまして、4日前にもう全く声が出なくなりまして。
その日、もう大統領にお話ができるかなと非常に心配をしておりまして、出かけました。
それで、あのう、やっぱり国連でのお話をしてくださったこと、拉致問題について。
日本にこのような少女が、拉致をされてる人がいるんだということを話してくださったことに対しての、
私は本当に感動しましたので、お礼を申し上げましたのと、お忙しい中で今日時間を作っていただいて、
家族に会っていただいてありがとうございますと。
そこまでは一所懸命、なんとか絞り出して言ったんですが、目の前にいらっしゃいますし、咳も出そうな感じですし、
あんまり失礼かなと思って、もうそれ以上声があんまりでそうにないので、もうこれで結構ですと言いました。
そしたら、もういいんですかと政府の方もおっしゃったんですが、ちょっともうすみませんと言って、
それで黙ってしまったんですけれども。
あのう、どういう風にお話をしていいか、っておっしゃると私も、こんな難しい問題をどうしてください、こうしたら絶対良くなりますよとかそんな知恵もありませんし、どうしていいかって判りませんけれども。
やっぱり、あの一番怖いのは戦争。戦争にならないことを私は一番願っております。
どこの国も戦争はしちゃいけないと思っておりますので、戦争にはならないようにしていただきたいということと、
そしてあのう、トランプ大統領も後でおっしゃっていたように、こんなに年少な子供、未成年ですね、拉致をして、
自分の国に留めおいて、返してこない、姿も見えないようにしている。
そして家族の人達は40年間も悲しみ、苦しんでいるとこんなことはあってはいけないと、はっきりと仰ってくださっていますので、
そういった人道的な意味で、ちゃんととらえていてくださると思っておりますので、
そのあとのことは日本の総理大臣そしてトランプ大統領、いろんな各国の大統領も意見の違う方もおりますし
、国々によって違いますから、非常にこれは一つにしていくのは難しいんだなといつも思っておりますので。
どんなことをと言われてもですね、ただ家族、犠牲になった者達の命を助けて下さいと、私たちは立ち上がったんです、最初。
そんなところに連れていかれたなんて思っていなかったんです。
どこに行っちゃったんだろうって探し回っていた子がそこに生きてたんです。
そして蓮池さんたちも生きて、一緒になって写真をもって、お父さんお母さんみんなとこの子を助けてくださいって、
署名活動も何度も訴えてやってた方が本当に帰ってこられたんですね。
もう、完全な現実なんですね。真実だったんです。
そのことが本当なんですっていうことを判ってくださったということがこの間のことだったので、それはもう、一人のお父様として、
私たちも両親ですから、どの方もみんなそうですから。
本当に大事な子供を奪われたままで何にもない、見えない。
息遣いさえ聞こえないっていう40年というものを本当にご理解いただきたいと思います。
だから、言葉にだしてどういう風に言ったらいいですかとか、そういう論理的な問題では、
私たちはもう申し上げることはできませんし、返してくださいとただ言っているだけなんで、
それは政府がしていただくことだと思っております。
有田芳生参議院議員
本当に限られた時間なので申し訳ないんですが、やはり横田参考人にお伺いしたいんですけれども、
11月15日の記者会見の中で、私、驚いた表現がありました。
早紀江さんはこう語っていらっしゃる。
「ありとあらゆることをして訴えてきました。政府は一所懸命知恵を絞って下さっていると思いましたが、
40年経っても何も判らない状況に一体何だろうか、信じて良かったかの思いが家族にはあります。」と、そう会見で仰ってた。
同じく12月6日に神奈川新聞のインタビューに答えられた中で、7日付なんですけれども
「政府の本気度が見えないことが北朝鮮には伝わる。本来なら首相が乗り込んででも解決すべき問題なのに。」
その流れの中で、早紀江さんが
「北朝鮮に行けと言われたなら、最後の力を振り絞ってでも行きたい。(そして金正恩に対して)返してください、と言いたい。」と、
そういうインタビューなんですけれども。
やはり、政府なり私達政治家に対する、「一体何なんだ」という「信じて良かったんだろうか」という思いは
率直なところでおありなんでしょうか。
横田早紀江参考人
これは、私一人の意見ではなくて、私達があちらこちらで活動をしております中で、年ごとにですね、
国民の方々が今のような形で、はっきりと仰ることが多くなりました。
本当に日本てなにしているんでしょうね、って。こんな大変な問題、大問題だし。
もう本当に大変な命の問題、これだけの命が奪われているのに。それが帰りたいと思っても帰れない。
それで、これだけのみんなが活動して、応援もしているのに、どうして何にも動かないのかっていうことは、
皆さんの思いなんですね。日本中の思いなんです。
私は有本のお父様ともよくお話しをしますが、北朝鮮に行けっていわれれば、
僕はいつでも行ってでも返してくれって言いたいよって仰います。私もそうですよ、おんなじですよ、
元気でいれば今ならそれはできますねって、話しをしております。
そのようなことを、そのような形で言ったことがああいう風に書かれている訳です。
そして、もう一つなんでしたっけ?現代(日刊ゲンダイ?)?神奈川新聞でしたっけね。それが今のことですね。
私が自分で行きたいって言ったわけじゃなくてですね、政府がそういう風な形で家族が本気で言うように、
一緒に行こうというようなことでもあれば、喜んで行きます、って言った言葉がああいう風に載ってるので。
それは違うんじゃないかということで、「抗議をしなさい」と息子からメールがきたんですけれども、
もう面倒臭いことをぐちゃぐちゃ言いたくないので、もう何を思っていただいても結構ですよということで、
私は何も言いませんでしたけれども。
そういう風に1つ1つの言葉をですね、私たちはもう必死で言ってても、いろんな形で、
そういう風に取り上げられなきゃならないような状況の中におりますので、何十年もそれを堪えてきました。
でも、本当に良くしてきていただいたと思います。
皆さん方に本当に助けていただいて、温かいご支援の中で、今日まで来られたということは、本当に感謝しております。
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