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ニーバーの祈り

未分類
12 /25 2030
神よ
変えられないものを受け容れる心の平静さ
変えられるものを変える勇気
変えられないものと変えられるものを
見分ける知恵を授けてください    アーメン
ラインホルド・ニーバー

God
grant me the serenity to accept the things I cannot change,
the courage to change the things I can,
and the wisdom to distinguish the one from the other, Amen
Reinhold Niebuhr
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お知らせ

未分類
12 /24 2030
ご訪問に感謝いたします.
最初に「新しい視点」からお読みいただくと判り易いと思います.
大変ボリュームがあるので、
「本文ダイジェスト」を読んで、目次から関心のある記事を探して
お読みいただいてもかまいません.

       

拉致被害者の使命を考える

大きな絵を描こう
03 /03 2020
拉致被害者の使命を考える

「日本の国のために、このように犠牲になって苦しみ、
また亡くなったかもしれない若い人たちの心の内を思ってください。
私たちが一生けん命、力を合わせ、戦ってきたこのことが
政治の中の大変な問題であることを暴露しました。
このことは、日本にとっても北朝鮮にとっても大事なことです。
そのことの為にめぐみは犠牲になり、
使命を果たしたのではないかと信じています。
人はいずれ死んでいきます。
本当に濃厚な足跡を残していったのではないか、
そう思うことでこれからもがんばってまいります」2002.9.17

2002年小泉総理大臣(当時)の訪朝により、5名生存、8名死亡の
報告がなされた後の横田早紀江さんの発言の抜粋です。
ここで早紀江さんは、めぐみさんをはじめとする
拉致被害者の使命について触れました。
このことについて少し考えてみたいと思います。

人は何の為に生まれてくるのか?
答えは人の数ほどあるでしょう。
どれが正解であるのかは判りません。
しかし、この世に生を受けた人、人に限らず、動物、植物、
命を与えられた者は、早紀江さんが言うように、
必ずこの世での生を終える時が来ます。

生きている者は必ず死ぬ、これは身分、国籍、性別等を問わず真実です。
生きている時に、どれほどの社会的功績を積み上げようと、
そのようなこととは無縁に穏やかな日々を積み重ねていても、
あるいは、残虐非道な行いを他者に対して行った者であっても
等しく死ぬのです。
拉致被害者だけが、「生存を前提に」と言葉では言っても
死を免れることができる訳ではありません。
このブログでも何度も繰り返しているように、
生存されている方もおられれば、残念ながらお亡くなりになられた方も
いらっしゃるだろうということが真実であろうと思います。

そして人は独りで生きていくことはできません。
誰かと関わりながら、自分でも気づかないうちに
誰かを助け、誰かに助けられて生きていくのです。
喩え、理不尽な出来事に巻き込まれたとしても
その悲しみ、苦しみを吞み込み、乗り越え、あるいは潜り抜けて
1歩でも半歩でも先へ生きていくのです。
長い時間を経て振り返った時に、その理不尽な出来事でさえも
その人の糧となることを知るのです。
そして、その悲劇の中で決して一人ではなかったこと、
支えられたことも知るのです。
だから、二度と繰り返してはならない、この思いは自分だけで十分、
他の人に体験してほしくない、と思い行動する人が出てくるのでしょう。
積み重ねられた悲劇が次の悲劇を防ぐことに繋がるのです。

北朝鮮による拉致。
ある日突然に、日常が断ち切られ、切り離される悲劇。
失踪の理由も判らず、何十年も自分を責め続けた被害者家族。
拉致されたということが判った時、
何とかして、この事実を知らないでいる人達に知って欲しい、
取り戻すために力を貸して欲しい、と願い家族は街頭に立ったのでしょう。
やがて、国会でも取り上げられ、2002年の小泉訪朝へと繋がっていったのです。

外国の工作員による拉致など誰も想像することはできませんでした。
様々な偶然も重なり、関係者の尽力もあり明るみになったのです。
拉致された人達がいる、と知った時、私も含め多くの国民は
そんなことが本当にあるのだろうか?といぶかり、
しかし、それが事実であると判った時、
北朝鮮に対して恐怖と憎悪の念を抱いたのではないでしょうか。

では、拉致被害者の使命とは、北朝鮮に対する憎悪を掻き立てることである、
と言ってしまってよいのでしょうか?

先に、人が生きていくためには、人を助け、助けられると申しました。
そのことを人が生きていく上での使命、目的であると仮定してみます。
その上で人を憎悪する為、その憎悪を燃料にして徹底的に相手を叩きのめすこと、
それが拉致被害者が教えてくれたことであるとしたら、
何と、虚しいことでしょうか。

救う会やボランティア、被害者家族の話しに心を動かされた人達が、
北朝鮮を憎む、徹底的に叩きのめすことを目的にしてしまったとき、
拉致被害者の使命は矮小なものへと歪められてしまうのではないでしょうか。
人を憎悪し、せん滅することを伝えるためにこの世に生を受け、
そうすることが使命として与えられたと考えたなら、
拉致被害者の生、使命は人を不幸にするためのものになってしまいます。
人が生きる時、人を助け、助けられるという
本来の生の意味からかけ離れたものになってしまいます。

それでは、早紀江さんの言葉にある、
拉致された方々の「使命」とはなんでしょうか。
これはあくまで私見であることをお断りいたしますが、
憎悪を乗り越え、和解することが可能であることを
知り、伝える為ではないかと考えます。

新約聖書ルカによる福音書23章34節
「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」
イエスが十字架の上から、
自分を磔にし、嘲り嗤う人々について言った言葉です。
憎しみから出た呪いの言葉ではなく、赦す言葉です。
キリスト教では、イエスは神と罪人である人とを和解させる仲介者です。
憎悪から出た言葉ではなく、赦しを示す言葉を
自分を理不尽な目に遭わせた相手に告げる。
私は、拉致被害者はこのような重く、大きな使命を
与えられたのではないかと思っています。

それはもちろん、あくまで個人的な思いです。
一方拉致被害者家族・救う会会員の思いも、彼らが拉致被害者本人でない以上、
個人的なものであり、それぞれ同等のものであることを、確信します。
拉致被害者の使命を「赦し」ととらえるも「憎悪」ととらえるも同等。
ですから問題は、どのとらえ方が拉致被害者・その周辺の人・日朝両国・世界にとって、
よりよい結果・解決につながるか、という話になります。

拉致をし、被害者、その家族の人生を壊した相手である北朝鮮、
かの国、その指導者、国民を憎むことは簡単です。
しかし、憎しみの感情をぶつけ、相手を罵倒するだけでは
話し合いもできません。
拉致被害者を助け出すためには、武力行使は無意味です。
(武力使用が非現実的であることは当ブログ、
「「拉致被害者救出には自衛隊の使用が必要」という人へ」
http://serenityprayer323.blog.fc2.com/blog-entry-44.htmlをお読みください)
交渉で取り返すしかないのです。

その際、相互に過去の出来事を持ちだし、
被害者であることのみを強調し、相手を加害者であると
詰め寄るだけでは、交渉にはなりません。
勿論、交渉ですから駆引きは必要です。
しかし、駆引きと憎悪による感情の発露は別ものです。
拉致被害者が私たちに示してくれたことが
憎悪ではなく、それを乗り越え、人を赦すことが可能であること
と考えるならば、私達は彼らの使命をしっかりと受け止めなければなりません。
北朝鮮を憎悪し、在日韓国・朝鮮人を差別し、罵詈雑言を浴びせ、
「気に入らないなら、日本から出て行け」と叫ぶ、
そのきっかけ、理由が拉致問題であって良いはずはありません。
そのような利用のされ方が拉致被害者の使命であるはずはありません。
それが拉致被害者の使命だ、という人は、
一体その先に何を見、求め、拉致被害者におしつけようとしているのでしょうか?

また、最近拉致問題啓発として、子ども達に拉致問題を知ってもらうという
取り組みが積極的に行われています。
子ども達は純粋に引き離された家族の悲しみ、辛さを想像し、
共感を覚え、一日も早い再会を願っています。
その為にできることをしようと考え、行動する子どももいます。

しかし、現実の拉致の運動はどうでしょうか。
支援団体、家族でさえ、韓国、北朝鮮に対しヘイト紛いの発言をし、
制裁や憲法改正、武力行使を口にしているのです。
北朝鮮に対する負の感情を土台として、憎悪を燃料として投下した時、
その炎は大きくなるばかりでしょう。
大きくなった炎は子ども達をも巻き込み、
自らを焼き尽くすことになるかもしれません。

拉致は大切な人権の問題なのだと言うのであれば、
憎しみの種を撒くことはしてはならないことです。
家族愛を強調しながら、それを取り戻すために、
平和でささやかな関係を断ち切った相手を憎み、
同じような目にあわせようとすることは矛盾した言動である
といえるでしょう。

又、日本と北朝鮮の間を、一部の被害者家族の言う正義と悪との戦いという
二項対立として単純化することもしてはならないことです。
ここで言う正義は日本であり、自分達であるということだろうと思いますが
北朝鮮には彼らの正義があるのです。
夫々が正義を唱え、大義名分を持ちだすなら、
和解や着地点を見出すことはできません。
特に憤りを原動力とした正義を持ちだすなら、
勝つか負けるか、生き残るかせん滅するかの二者択一になってしまうからです。

何をもって解決と言うのかの定義さえ曖昧なまま、
正義は我にありとするなら、相手を完膚なきまでに叩きのめすことになります。
その結果、負けた方には更なる憎悪が残ることになります。
憎悪に憎悪を重ねて行くことが、
拉致被害者に与えられた使命、この世に生を受けた目的であるはずはありません。
助け出すことと相手を憎み、叩きのめすこととは違います。
そこを混同してはなりません。

現状の憎しみを乗り越えて行ける、理不尽なことをした相手を
赦すことができる、和解することができる、
このことを可能にするのは、私達です。
憎しみを植え付け、更に増幅させることが
拉致被害者が私たちに与え、残したことであってはならないのです。
それでは、あまりに悲しく、虚しいことではありませんか。

拉致被害者の生きた証、早紀江さんの言葉を借りるなら
「彼らの残していった濃厚な足跡」が隣国を憎悪することであったなどと、
そのような人生を被害者に与えることを許してはならないのです。
ですから、はっきりと言います。
今の救う会の運動は間違っています。

大学教授という教育者という身分でありながら、
北朝鮮への憎しみを露わにし、日々罵詈雑言を投げつける人達が
拉致の運動の中心にいます。
来る日も来る日も、北朝鮮憎悪という燃料を投下し続ける人達が
先頭にいる運動は、和解とは程遠いものです。
和解などしなくて良い、白黒の決着を付けるのだ、というなら
それは、子ども達を含む多くの国民を巻き込み、
不幸を作り出すことになるでしょう。
拉致被害者の使命、その生の目的を歪め、貶めるものとなります。

拉致問題に関心のある皆様も、「拉致被害者の使命」という観点から、
今一度拉致問題をお考えいただけたならと思います。

拉致問題と時間

救う会
10 /29 2019
拉致問題と時間

①拉致問題は「時間との闘い」なのか?
10月5日は横田めぐみさんの55歳の誕生日で、
各メディアがこの件を取り上げていました。
代表として東京新聞の記事を挙げてみます。

「拉致家族高齢化 時間との闘い」 横田めぐみさん55歳 弟が早期解決を訴え
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201910/CK2019100602000121.html
「北朝鮮による拉致被害者横田めぐみさん=失踪当時(13)=が
55歳の誕生日を迎えた5日、拉致問題への関心を高めようと、
川崎市中原区で「拉致被害者家族を支援するかわさき市民のつどい」
(同市主催)が開かれた。
弟の拓也さん(51)が講演し、
「拉致被害者の家族は高齢化し、時間との闘いを強いられている」
と早期解決を訴えた。」
(以下略)

ここで「時間との闘い」という言葉が出てきています。

時間に関する言及は東京新聞に限りません。
・横田めぐみさん55歳に 弟は「猶予ない」と危機感(共同通信)
・「いらだちが本音」最愛の姉と別れ40年以上、
自身は家族会の中心に(産経新聞)
など、各社同じように、タイトルから「時間がない」ということを
前面に押し出しています。

しかしこの「時間がない」という言い方に、
私達は強烈な違和感を覚えずにはいられません。
まず昨年6月22日のブログ記事「待てるのですか? 待てないのですか?」
serenityprayer323.blog.fc2.com/blog-entry-36.html
で触れましたが、
救う会・家族会はメールニュース(2018/06/20)
「全被害者の即時一括帰国を!6/29(金)特別集会ご案内」の中で、
「家族会は、一刻も早く会いたい気持ちを抑えて、
冷静な対応を求めています。」
と言っています。

また昨年11月10日の記事「拉致問題と差別②」
serenityprayer323.blog.fc2.com/blog-entry-67.html
で触れました。
「11月1日の東京連続集会で以下のような発言がありました。
西岡力氏 
「9月の国民大集会で飯塚代表は重大な発言をしました。
私たちの今年の運動方針は、「再度政府に年内の解決を求める」ですが、
飯塚さんは「年内とは言いません」とおっしゃった。
運動方針に反しているんですが、
「でも慎重に、確実にやってほしい。
しかし急いでほしい。期限は切りません」と。
 これは情勢をよく分かっていらっしゃって、
「早く」という気持ちと、
「しかし失敗したら大変なことになる」ということが、
飯塚さんにあの言葉を言わせたんじゃないかなと思います。
国民大集会の一番の核心の発言は、
飯塚さんの発言だったと私は思っています。」

また先日の9月16日国民大集会で、
飯塚繁雄家族会代表は以下のように言っています。
www.sukuukai.jp/mailnews/item_7071.html
「私としては、総理に対して「焦らずに」という言葉を使わせてもらいました。
何もしなくていいということではなく、
変に方向を間違えたりしてしまうことの
ないようにということで、私たちの願いはあくまでも拉致被害者の奪還です。
日本に帰国させることです。この目標をはっきりと捕えた上で、
どなたもそれに向かって一心に活動なさっていると思います。
従って私としては、「焦らずに急いで」という言葉がありますかね、
着実に帰国に結びつくためにどうするのかということを常に考えながら
行動してもらいたいと思います。」

これらを読み、救う会・家族会が、現在、
「時間との闘い」だ。
「猶予がない」。
と考えているとは、到底思えません。
「いらだちが本音」であれば、家族会事務局長の横田拓也氏は、
そのいらだちをマスコミに語るのではなく、「焦らずに」と言う、
家族会代表の飯塚繁雄氏にぶつけるべきだと、
誰もが思うのではないでしょうか。

第一、当の横田拓也氏自身が9月16日の国民大集会で、
以下のように言っています。
www.sukuukai.jp/mailnews/item_7103.html
「その意味では今回、トランプ政権は若干メンバーが変わっていくんでしょう。
そして先ほど申し上げましたように、日本政府がまずコミュニケーションを取る
必要がありますが、今後はタイミングをみはからって
家族会、救う会、議連が一緒になって人脈を作るとともに、
私たちの意見を改めて深く打っていくために
活動していかなければならないと思っています。」

よその国にゲタを預けておいて、「時間との闘い」もないでしょう。
「タイミングを見計らって」とありますが、
ストックホルムで米朝会談が行われた前後も、救う会・家族会共に、
全く音無しの構えでした。
日本政府は言うまでもありません。

くどくどと述べましたが、以上によって私達は、
救う会・家族会が、拓也氏が言っているように、
焦っていたり、猶予がないと思っているとは、見なしません。

そこで、なぜ横田拓也氏はマスコミに対して、このような発言をするのか、
を検討してみたいと思います。
彼が「時間がない」という根拠は、上の東京新聞の記事にあるように、
「拉致被害者の家族は高齢化し、時間との闘いを強いられている」
にあります。

拉致被害者の家族が高齢化しているのは事実です。
ですが、今年になって急に高齢化が進んだのではないことは、
言うまでもありません。
高齢になり、拉致被害者である家族に会うこともできずに
お亡くなりになった家族は、すでに何人もいます。
つい先日(10/21)も、
特定失踪者家族の藤田春之助さんがお亡くなりになりました。
https://www.sankei.com/world/news/191021/wor1910210008-n1.html
「拉致濃厚、藤田進さんの95歳父死去 
「もうすぐ会える」願いかなわぬまま 被害家族高齢化、募る焦燥感」

だから本当は「時間がない」のではなく「間に合わなかった」
というのが正しいのです。
であるのに、なぜ、「時間がない」と言い続けられるのかといえば、
まだ高齢の拉致被害者家族が何人もいるからです。

しかしこれはおかしいことなのです。
「間に合わなかった」人にとって
、「間に合わなかった」ことは動かし難い事実です。
その人にとっての真実です。
それを「間に合わなかった」ら、残った家族に「時間がない」を引き継ぐのは、
一人一人のかけがえのない人生に対する、冒とくではないでしょうか。
上の記事のタイトルも「「もうすぐ会える」願いかなわぬまま 
被害家族高齢化、募る焦燥感」とありますが、
願いをかなえる目標があってこその「募る焦燥感」ではないですか?
そのような冒とくを繰り返し、2002年の5人帰国から数えても、17年に渡って
「時間がない」と言い続け、今も言っている。

17年も時間があったではないか、とは言いません。
ただここで
「時間がない」と言いながら、その一方で「しかし期限は設けない」という、
拉致問題を巡る悪しきシステムに絞って、考察してみようと思います。

②マインドコントロールと時間
拉致問題におけるマインドコントロールについては、
このブログの最初の記事「新しい視点」の8章
「拉致被害者家族はマインド・コントロールにかかっているのか?」
で既にふれました。
serenityprayer323.blog.fc2.com/blog-entry-22.html
今改めて読んでも、特に直す必要はなく、そのまま通ると思います。

ここで「マインドコントロールと時間」という補助線をまず引こうと思います。
なぜなら、「時間がない」と言いながら「しかし期限を設けない」というのは、
終末思想をヒントとした、カルト宗教によくみられる傾向であるからです。
もちろん拉致問題とカルト宗教は関係ありません。
カルト宗教と比較されることに悪意を感じられる方もいるでしょう。

しかし「時間がない」と言いながら「しかし期限を設けない」という、
常識的に無理のある体制をとっている組織は多くはなく、
その少ない類例の中で比較することは、
意味のないこととは思えません。

そこで「マインドコントロールと時間」という観点から、
具体的に「エホバの証人(ものみの塔聖書冊子協会)」を例として
取り上げてみたいと思います。
といっても、「エホバの証人」について、
客観的な立場から網羅的に記述された書籍は、
私の知る限りでは見当たりません。
ですので、カルト宗教からの信者の脱会と社会復帰に尽力されている、
真理のみことば伝道協会(代表ウィリアム・ウッド師)から発行されている
機関紙『truth』(一般の人の目にふれることは余りありませんが)の
記事を基に、「エホバの証人」と時間についての輪郭を
描いてみることにします。

(1)美化される終末のパラダイス、そして美化されるそこに至る苦難の日々
「20年ほど前のことですが、私(筆者注:W・ウッド師)」は
ウクライナのある教会で、
エホバの証人のことについて、講演をしていました。
「エホバの証人は、間もなく、この地上において楽園ができると信じています。
彼らは、その希望に自分のすべてを託して、貧しい生活を我慢しながら、
また、多くの犠牲を払いながら、
一生懸命にものみの塔協会のために働いていますが、
パラダイスが実現したら庭付きの立派な家も与えられ、
戦争も犯罪も貧困もなくなる と信じています。」
ものみの塔の本に掲載されている絵を見せながら、話をしていました。
すると、突然 一人の男性が立ち上がって、こう叫びました。
「それはね、昔から、旧ソ連当局から聞かされていたのと同じ話しだ。」
200人位の会衆から、爆笑が沸き起こりました。
(中略)
カルト化した団体の一般的な特徴として、この世の職場で働く人は、
団体のためにフルタイムで働く「献身者」より
霊的レベルが低いとされています。
(中略)
カルト化した団体には、貧しい生活が美徳化される傾向がある。」
(『truth』162号)

拉致問題に置き換えると→
拉致問題の終末としての「全拉致被害者の即時一括帰国」のいう名の解決は、
現実から遊離した、実現可能性を度外視したものになっています。
そして、現実であれば、長い間離れていたため、必ずあるはずの、
・年をとっているため、見分けがつくか分からない
・長い年月離れていたことによる、コミュニケーション上のギャップ
・北朝鮮国内で新しくできた家族をめぐる問題
・そもそも帰国を望んでいるかも分からない
・長く放置されていたため恨んでいるかも分からない
などの諸問題を全部無視して、
まるで最後の審判におけるように、拉致された家族が、
拉致された時のままの姿(例えば、中学校の制服を着ためぐみさん)で
帰って来るかのような、現実離れしたイメージを振りまいています。

そしてその甘いイメージを全面的に打ち出し、
そのために苦労する拉致被害者家族の姿を持ち出しています。

一部の家族は「被害者を救出するためには、
私たち家族は語らなければならない。言葉が武器だからだ。」等と言い、
通常の社会的な仕事より、講演会を優先しているかのような方もおられます。
時に、社会的仕事から得られる収入より、講演活動から収入を得られるように、
”専従”の活動家になる人もいます。
そして、そのように社会的な仕事から収入が得られない状態であることを
誇りに 感じる場合もあるかもしれません。
生活を切り詰めてまで、”救出活動に身をささげている”のだから、
支援者も、国民ももっと、支援しなければならない、
という「空気」が醸成されてはいませんか?

支援者に「一日も早く拉致被害者と家族が再会できるように」
ボランティアに励むように仕向け、
一般国民には、「拉致問題の解決は国民の義務」と刷り込んだ上で、
「拉致問題解決のための改憲」
「拉致問題解決のための軍事力増強」
「拉致問題解決のための在日コリアン差別」
「拉致問題解決のための北朝鮮憎悪」
などを納得するように仕向けてはいないでしょうか。

(2)戦争状態を望むようになる
終末が来れば、”その後”は平和で幸福な状態になる。
だから、一刻も早く”終末がくればいい”=”戦争がくればいい”
最悪、”終末”到来のための自作自演までする場合もあります。
(これは「エホバの証人」がそうというより、
終末思想に特化したカルト宗教に見られる傾向。
オウム真理教地下鉄サリン事件を思い出してください。
ハルマゲドンの自作自演)
 
「個人的な喧嘩にしても、国家間の戦争にしてもその根本にあるものは、
自分の利益の最優先、そして自分だけが正しいという主張、
そして、相手は生きる資格のない極悪人であるという思い込み等です。
戦場に送られる兵士の教育は、
相手国の人間を徹底的に憎むことから始まります。
相手を憎まなければ、殺せないからです。
こうしたことを考えると、戦争をなくすための最も重要なことは、
他国の人間との交流だと言えるのではないでしょうか。
相手を知りさえすれば、相手に対する偏見や先入観は必ずなくなります。
しかし、他国人との交流が禁じられ、
他国から発せられる情報が統制されるような事態になると、
再び、醜い裁き合い、憎み合いが始まるのです。」
(truth 162号)
だからこそ、敢えて外部との交流を制限、遮断することがあります。
現在の日本において、思い当たることはないでしょうか?

そして、なにより大事な事は、
戦争により、現世において終末のパラダイスへと行き着くことは、
100%ありません。
あるのは、殉教による死後のパラダイスか地獄だけ。
ということです。
先の戦争では、「玉砕・散華・英霊」等、
全滅、餓死、体がバラバラに吹っ飛ぶような死に方を
美しい言葉で誤魔化しました。
勿論、兵士、その家族に残酷な最後を語ることが辛かったから
という理由はあるでしょうが、現実を見えないようにしたことに変わりはありません。
どこかで戦争を望む人による、「すり替え」が行われているのです。

拉致問題に置き換えると→
・国交正常化は必要ない
・北朝鮮は極悪非道国家である
・北朝鮮のことを知ろうとするな
・北朝鮮は徹底的に痛めつけるしかない
・制裁強化、さらには、自衛隊による救出、
戦争しかないと思わせる、憎悪を煽る。
・救出が全く実現しそうもない、焦燥感、不満、鬱積を全て北朝鮮=悪に集約し
自分たちの正当化を図る
・家族会、救う会の言動は正しい、
国家が国民を武力救出することへの正当化へと繋げる
等々、探すまでもありません。
そればかり、と言ってよいでしょう。

自衛隊による救出を叫ぶ人は多く、
なんと、総理大臣が参加する国民大集会でも、そのような扇動が行われます。

そのことについては以前
「「拉致被害者救出には自衛隊の使用が必要」という人へ」
serenityprayer323.blog.fc2.com/blog-entry-44.html
という記事を書きました。
そのような好戦的な人たちの意見には、一分の理もありません。

武力を用いての拉致被害者救出など、考えられないことです。
そのような主張をする人は、拉致問題をだしにして、戦争を望んでいるだけだ。
と断言致します。

(3)終末とは「何時(いつ)」のことなのか?→誰にも判らない
キリスト教で言えば、天地創造が始点、終末(神の国の到来)が終点です。
しかしながら、その終点が「何時」なのかは人は知ることができない。
(マルコ福音書13:32)
一部カルト集団は、終末を予想した年を設定します=予言(預言ではない)。
 そして予言が外れると、ごまかします。

 エホバの証人の「1975年」は近年では有名なものです。
 1975年に終末が訪れるので、財産を協会へ寄付、あるいは処分し、
 結婚も出産もしない、進学もしない、この世のことを整理して
 その日を待った信者は大勢います。
 しかし、何も起きませんでした。
 協会は、「我々は1975年に終末が来るとは言っていない。
断定はしていない。単に~と言っただけ。
 周りが勝手にそう解釈し、はずれたと触れ回っているだけ。」等と言い訳をしました。
 https://www.stopover.org/lib/Kanazawa/Shuen/chapter09.html

 もちろんそこで、協会を離れた信者もいました。
 しかし、離れた者は「霊的に低い」等と言い、残った人達も多くいます。

拉致問題に置き換えると→
「(救出が)何時とは、申し上げられないが、今が一番のチャンスと言える。」
「何時まで待てばよいとは申し上げられないが、解決に近づいている。」
「情報源は明かせないが、被害者は生きている。」
「被害者は、~と思っているに違いない。」
「被害者は、~というような最悪の状況に置かれており、今救出しなければ
 もう、身心ともに限界にきている。」
などと強迫観念を与えています。
※「取り戻すのは今」という決まり言葉を軸に、
救う会会長西岡氏の言説の変遷をたどったこともあります。
「救う会、会長西岡力氏の言説の変遷」
serenityprayer323.blog.fc2.com/blog-entry-90.html

これらで、家族・善良なるボランティア・国民に期待を持たせ、希望を抱かせ、
恐れを与えて、心を縛っています。

しかし、それが「何時」なのかは全く曖昧なのです。
「いつまでも、チャンスだと言いながら何も成果はない。詐欺のようだ。」
という人達には、北朝鮮の手先、人としての情がない等の批判をし、
「仲間」から排除する。
私達も救う会時代に、異議を唱えると、よく言われました。
「分派活動はやめろ!」
「分派活動は北朝鮮を利するだけだ!」

「時間がない・残り少ない」という、切迫した感覚は、
家族や善良なるボランティアに
より一層”活動”に励むように仕向ける理由となるのです。

そして何よりも大事な事は、
その”活動”は「拉致被害者を救出する活動」ではないことです。
バッジを着けたり、署名を1千万筆以上集めて、何か成果はあったでしょうか?
全くありません。
では何の活動か?
もう既に述べましたので繰り返しません。

③カルト宗教とならないために
 ②では拉致の運動とカルト宗教「エホバの証人」を比較し、
類似性を指摘しました。

さて、それによって私達は
「このような問題を孕んだ拉致の運動など止めてしまえ」
と言いたいのではありません。
逆です。
「現実に沿ったかたちで」拉致問題を解決するべきだと思うのです。
「エホバの証人」が聖書を曲解しても、聖書に罪はないように、
拉致問題を曲解しなければよいのです。

だからこそ、このブログで繰り返し「全拉致被害者の即時一括帰国」という、
カルト宗教における終末のパラダイスのように現実味がなく、
だからこそ永遠にかなえられることのない、
救う会・家族会の目標を批判してきました。
地に足のついた拉致問題の解決は、
決して高らかな歓喜のラッパの音に包まれたものではあり得ず、
現実の痛み・苦味・苦しみを含んだものであるはずだからです。

たとえばそれは、拉致被害者が北朝鮮での家族との生活を壊したくない為に
帰国を望まない、日朝往来が可能になればそれで十分という選択をする場合、
又は拉致被害者が既に死亡している、という大変辛い現実も
無いとは言えないということも含みます。
しかし、それを認め、受け入れる気がなければ拉致問題の解決はありえません。

なぜなら、現実に余りにも長い「時間」が、既に過ぎ去ってしまったからです。
「時間」とはそういうものでしょう。
誰だってそのことは分かっているはずです。
なぜ「拉致問題における時間」のみがそれを逃れられるでしょう。
これまでに掲載したブログ記事にも、何度も
「人の命は永遠ではない」と申し上げております。

逃れようとして、たどり着くのは「パラダイスの蜃気楼」の下の生き地獄です。
大事な事は、生き地獄行きの道以外にも、道はあることなのです。
もちろんパラダイスではなく、現実の苦味を含んだものではありますが。
苦い現実と向き合った拉致問題の解決については、
「拉致問題の常識的な解決に向けて」
serenityprayer323.blog.fc2.com/blog-entry-103.html
で以前書きました。
修正が必要な部分はありません。
常識的な解決に至る道筋はこの記事で全て述べてあります。

しかし「カルト宗教とならないために」という趣旨から、
「拉致問題と時間」の常識的なあり方について、
最後に触れておきたいと思います。

最初に述べましたが、
拉致被害者の家族が高齢化しているのは事実です。
時間がないのも事実です。
何に対して時間がないのか。
家族が元気なうちに、再会するための時間がないのです。

そう考えれば、現在一番時間がないのは、
入院中の横田滋さんという他ありません。

もちろん今すぐ横田めぐみさんに会わせることができれば、
それがベストの結果でしょう。
しかしそれは可能なのでしょうか?
その点ベターな選択として、先日
「横田夫妻とウンギョンさんとの面会」
http://serenityprayer323.blog.fc2.com/blog-entry-108.html
という記事を書きました。

これに批判はあるかもしれません。
ベストな選択でなく、ベターな選択ですから、批判の余地があるのは当然です。
しかし「全拉致被害者の即時一括帰国」以外認めない、
という救う会・家族会の空念仏は、病床で苦しんでいる滋さんに、
どんな救いを与えるというのでしょう?

「全拉致被害者の即時一括帰国」はオールオアナッシングの目標で、
オールが達成される可能性はありません。
そこにあるのはナッシングのみです。
そんな残酷な幕引きを認められないからこそ、
私達は救う会・家族会とその後ろにいる日本政府を批判しています。
ベターな結末を求めています。
このオールオアナッシングな救う会・家族会の主張に対する批判は
当ブログ「「全拉致被害者即時一括帰国」という欺瞞」
http://serenityprayer323.blog.fc2.com/blog-entry-71.html
をご参照ください。

だからここで言いたいのは、
もし、横田滋さんにベターな結末を用意する可能性がありながら、
それを妨げ、ナッシングで終わらせるようなことがあれば、
そのような選択をし、それを滋さんに押し付けた人たちは責任をとれ!
ということです。

責任をとるとはどういうことか?
救う会・家族会の役職者、そして拉致問題に関係した政府関係者は、全員辞任して、
今後一切拉致問題に関わるな、ということです。

その時に、自分達の責任を棚に上げ
「なんと残酷な北朝鮮!」というようなキャンペーンを展開してはならない、
次の高齢の拉致被害者家族に「時間がない」を引き継いだりしてはならない、
ということです。

「いのちと死、祝福とのろいをあなたの前に置く。
あなたはいのちを選びなさい。」申命記30章19節
人が発した呪縛に囚われてはなりません。
与えられた環境、条件の中で
何が「最良」なのかを考え、決断し、選ばなければなりません。

さあ、拉致問題のために残された「時間」は本当に少なくなりました。
救う会会長の西岡力氏は嫌韓活動で大忙しで、
救う会副会長の島田洋一氏は、ラグビーについてツイートしています。
にせ予言者から、私達は「時間」を取り戻さなければなりません。
限りある、そしてかけがえのない「一人の人間の命の時間」を。

9/16国民大集会報告

救う会
09 /23 2019
9/16国民大集会報告

9/16に「全拉致被害者の即時一括帰国を実現せよ!」国民大集会に参加しました。
(動画は https://youtu.be/KvRHmXTTsoA )
短いセンテンスにできる内容は、極力、ツイッターで早めに報告致しましたが、
長文でないと伝えられないことは、この記事にてまとめることに致します。

今回の国民大集会は従来のものとは、非常に違ったものでした。

① 拉致被害者家族の訴えが、大幅にカットされる
まず今年の2回の国民大集会を比較します。
(以下、敬称略)

・今年5/19の国民大集会で、まとまった話をした拉致被害者家族
 横田早紀江・横田拓也・横田哲也・飯塚耕一郎・本間勝・有本明弘
・市川健一・増元照明・斎藤文代・松木信宏・松本孟・寺越昭男
・北野政男・内田美津夫・浜本七郎の15名

・今回9/16の国民大集会で、まとまった話をした拉致被害者家族
 飯塚繁雄・横田早紀江・曽我ひとみ・横田拓也・飯塚耕一郎の5名

なんと3分の1!

そして5/19の集会で訴えをされた家族のうち、
 横田哲也・本間勝・有本明弘・市川健一・増元照明・斎藤文代
・松木信宏・松本孟・寺越昭男・北野政男・浜本七郎の11名は、
今回の集会にも参加しているのです。
参加していますが、ただ名前を読み上げられて、起立して礼をするだけ。

いつも持ち時間を無視して、とうとうと持論をまくしたてる有本明弘氏が、
立ち上がり礼をした後、なかなか座ろうとしなかったのが、極めて印象的でした。
私も長年、国民大集会に参加していますが、こんなことは初めてです。

そして、話をしている5人の内訳は、
・飯塚繁雄・・・家族会代表としての主催者挨拶
・横田早紀江・・家族の訴え
・曽我ひとみ・・家族の訴え
・横田拓也・・・ミニシンポジウム
・飯塚耕一郎・・ミニシンポジウム
なので、「家族の訴え」というかたちで、独立した話をしているのは実質2人です。
15人の話が、2人になったのは、大変なことだと思いますが、
誰も指摘をしていないようです。

ところで上のミニシンポジウムです。
横田・飯塚両氏の他に、
救う会会長西岡力氏・司会の櫻井よしこ氏を交えた4人での構成になっており、
全体的にコーディネーターの櫻井氏のコントロール下にあるように、感じられました。

その中でこんなやり取りがあります。
櫻井よしこ 
「これからの日本が、本当に拉致被害者全員を一括して取り戻す。
それを実現するには、これから何を考え、何をしたらいい、
という風に感じていらっしゃいますか?」

横田拓也 
「家族を取り戻すには、一人一人に直接会って、
真剣な悔しい気持ち辛い気持ちを伝えることによって、
皆様の心を動かすことしかできない。」

飯塚耕一郎 
「伝える。この事件の悲惨さを伝えた上で、皆さんに理解して頂いて、
かの国から絶対被害者を返すんだと、そういう理解を得る、
というのが一番重要になっていると思います。」

一回の国民大集会の中で、全く矛盾したことが平気で行われています。
「伝える」ことが大事なら、「家族の訴え」をなぜ大幅にカットするのでしょう?
恒例の政治家の先生方の話は、全くカットされていないというのに!
黒岩祐治氏(北朝鮮による拉致被害者を救出する知事の会会長、神奈川県知事)などは
参加するたび、毎回毎回、映画「めぐみ-引き裂かれた家族の30年」の制作に、
キャスター時代に関わった、という話を延々としているというのに。

これは私の全く個人的な感想なので、賛同して頂く必要はありませんが、
「拉致被害者家族が、自分の考えを語る機会を奪うことで、
何ら結果を出せない安倍政権への不満が、万が一でも、語られる可能性を、
事前に摘み取ったのではないか?」
そんな風に感じられなくもありません。

皆さんはどう思われるでしょうか?

② 司会の櫻井よしこ氏の傍若無人な発言
司会の櫻井よしこ氏の傍若無人な発言は、今回始まったことではありません。
ある意味、昨年9/27の国民大集会の方がひどかったとも言えます。
(ご参考までに。 https://lite-ra.com/2018/09/post-4281.html )
しかし今回はミニシンポジウムの国民大集会のコーディネーターが加わった分だけ、
思う存分、持論を展開できる余地が広がったように感じられました。

ツイッターでお伝えしたものを再録します。
●「本日拉致の国民大集会に行ってきましたが、
司会の櫻井よしこ氏が、自分の持論をまくし立てる場面が、多々見受けられました。
立憲民主党の村上史好議員が
「我々の持てるあらゆる力を結集していきましょう」という話をすると、
「なぜあらゆる力の中に憲法改正が入っていないのでしょうか?」
「なぜ立憲民主党は憲法改正の論議を避けるのでしょうか?」
と司会なのに反論する。
すると会場から大きな拍手がわき、村上議員へのヤジも巻き起こる。
ヤジを自ら引き起こす司会もなかなかいないですね。」

●「再び拉致の国民大集会での櫻井よしこ氏の発言(司会なのに)
「感じるのはですね、日本人はこんな場面でおとなしくあってはいけない、
ということでありました。政府は一生懸命やっている。国民も家族も一生懸命。
その想いをどういう風に表現するか。
おとなしく穏やかな日本人も、心から怒っているんだということを、
何とか北朝鮮の指導者始め皆さん方に伝えていくことが、
私達国民のできることの一つだと思います。」

●「本日の拉致の国民大集会の終り頃(これがミニシンポジウム)
またもや司会の櫻井よしこ氏がとうとうと自説をまくし立てました。
長くなりますが、かなり危ない話ですので、是非読んでみて下さい。
「そしてとにかく安倍政権の下で、この拉致問題を解決するんだ、
という意味での一致団結。
そして安易な妥協は絶対にしないという固い決意。
これを私達国民が一生懸命に言い立てれば、政権に対する合意にもなりますし、
北朝鮮に対する圧力になっていくだろうと思います。」
「世界が大きく変わる中で、そして北東アジアが大きく変わる中で、
いいも悪いも含めて、拉致解決のたった一つのチャンスが目の前に来ている時に、
経済しか使えない。その他の手段を国家として使えない。
戦争したいと言っているのではありません。
外交そして交渉の背景には強さがないとだめなのです。(満場の拍手)
その強さといえば経済でもあり軍事力でもあります。
国民の何としてでも、我々が、我々の国が国民を守るんだという気概でもあります。
その意味でこれからの2年間安倍政権が続く中で、何としてでも、
この拉致問題を解決していかなければならない訳ですが、
安倍さんだけにお任せするのではなく、私達も一緒になって、
我々も戦力なんだとの気持ちで、
一緒にこの問題に取り組んでいきたいと思います。」
・・・これを最後まで読まれた方。あなたは櫻井よしこ氏の言う「国民」ですか?」

③ 拉致問題解決の主体は安倍総理ではない!?
実はこの珍説が、今回の国民大集会の全体を支配し、
櫻井よしこ氏を傍若無人な発言に駆り立てているように感じました。

●家族会会長飯塚繁雄氏の話から
「私たちには、こうしろというような話はできませんが、
政府を信じ、安倍総理を信じて、皆様の応援もいただき、
オールジャパンでお願いしたい。
色々な団体も関与していただいています。
オールジャパンで近々解決するという意気込みで、
これからも皆様のご協力を宜しくお願いいたします。」

●安倍総理の話から
「正に日本とアメリカ、この問題を解決していく上において、
完全に立場を同じくしているわけです。
 しかしもちろん、この問題を解決していく上においては、
大統領とともに国際社会の理解が必要であります。
先般のビアリッツ・サミットにおきましても、
G7のメンバー、少し入れ替わりがありましたので、
改めて拉致問題の重要性についてお話をさせていただきました。」
「しかしもちろん、この問題を解決していく上においては、
日本が主体的にこの問題に取り組んでいかなければなりません。
私自身、条件を付けずに金正恩委員長と直接向き合っていく。
冷静な分析の上に、あらゆるチャンスを逃すことなく、果断に行動していく考えです。
 北朝鮮には、勤勉な労働力とそして豊富な資源があります。
しかし、それをいかしていく上においては、
北朝鮮に大きな決断をしてもらう必要があります。」
「拉致問題の解決のためには、正に日本国民が一致団結して、
全ての拉致被害者の一日も早い帰国への実現に
強い意志を示していくことが大切であろうと思います。
17年前の明日9月17日、あの17年前5名の方々が帰国することができたのも、
それに向けて国民の皆様が声を大きくして、一つにして、被害者を日本に返せ、
こう声を上げていただいた結果だろうと思っています。
 その声こそが国際社会を動かし、
そして北朝鮮を動かしていくことにつながっていきます。」

●櫻井よしこ氏の話から
②で引用しました。「安倍総理にばかりに頼るな国民よ」と言っているようです。

今年の6/1に当ブログで「拉致問題解決の主体は一体誰なのか?」
という記事を掲載しました。
serenityprayer323.blog.fc2.com/blog-entry-100.html 
そこで描かれたのと同様に、今回も
主体はアメリカ・トランプ大統領。
主体は国際社会。
主体は北朝鮮・金正恩委員長。
主体は日本国民。
と言っているようです。

そして櫻井よしこ氏の発言
「安倍さんだけにお任せするのではなく、私達も一緒になって、
我々も戦力なんだとの気持ちで、一緒にこの問題に取り組んでいきたいと思います。」
に集約されます。

6/1の当ブログの記事では、以下のように書きました。
「まさに拉致問題解決の主体は、国民と北朝鮮へと投げかけられています。

そういうのなら、私達が主体になろうではありませんか。
そして
「私達は「全拉致被害者の即時一括帰国」など切望してなどいません。
現実的な方法で拉致被害者を救い出すことを切望します。」と、
はっきり言ってやろうではありませんか。
誰に?
拉致問題解決の主体を喪失した人たちに。」

「当ブログでも「新しい視点」以来、
繰り返し触れてきましたが、拉致問題の解決は普通にやれば、
別に難しいものではありません。
拉致問題を私物化し、解決不能にしている人たちに、
異議を唱えることから、再出発しましょう。」

私たちの力不足で、残念ながら、このような気運は高まっていません。
一方で今回の集会のように、
拉致問題解決は日本国民の熱意の問題だ。
解決しないのは安倍総理の下に一致団結して、
「全拉致被害者の即時一括帰国」を切望しない、日本国民が悪いのだ」
と言わんばかりの開き直りが、支援者だけが集まった密室で叫ばれ、
日本政府の公式見解になろうとしています。
「国民大集会」で賛同された!という口実の下に。

今、日本は大きな問題が数限りなく存在し、
拉致問題に目を配る余裕が、皆さん、なかなかないでしょう。
それは当然のことだと思います。
しかし、これは拉致問題に限った問題ではありませんが、
現政権は、皆の目の届かないところで、一部の関係者を使って、勝手に決議をし、
「国民の賛同を得た。今後これで進めていく。」
という手をよく使います。
そして忙しい国民に代わってチェックする、重要な役割を持っているマスコミは、
殆ど機能していないことはご存知の通りです。

だから「拉致問題のことばかり、くどいな」と思われる方もおられるでしょうが、
くどくても訴えなければならないと確信しております。

拉致問題解決の責任が国民に押し付けられ、
拉致被害者救出を口実に、国民の情を利用し、ナショナリズムを煽動し、
憲法改正・軍事強国化の口実・道具にさせられようとしている実情に、
是非、気づいていただきたいのです。

横田夫妻とウンギョンさんとの面会

未分類
09 /04 2019
拉致の運動の第一線で長い間活動されてきた、
横田滋さんが体調を崩し入院されたのが昨年の4月。
もう1年5カ月たったことになります。
未だに退院の目途も立っていません。

祈り会で、早紀江さんは
「病室のベランダから見える夕日や季節の風景を見ながら、
穏やかにしております。」
と諦観の混じったような近況を話されています。

また、本年6月7日の東京連続集会で、
救う会西岡会長が以下のような話をされました。
「この前、横田滋さんを病院にお見舞いしてきましたが、
そこで「あと何か月待ってください」とは言えない。
「ここまで来ました。もう少し我慢してください」と申し上げましたが、
7月になったらどうなるというところまでは残念ながら言えません。」
とてもではないですが、
闘病の支えになるような、元気づけられる話ではありません。
もう9月です。

一方、安倍総理は、昨年9月以来何度も
「私が金委員長と直接会って話しをする番だ。」と繰り返しています。
しかし、北朝鮮とコンタクトもとれず、硬直したまま
拉致問題は文字通り1ミリの進展も見られません。

そのような状態の中、1つ、日朝の繋がりがあるのです。
横田夫妻の孫、めぐみさんの娘であるウンギョンさんです。
2014年3月、夫妻とウンギョンさんはモンゴルで面会を果たしました。
ウンギョンさんの存在が明らかになってから、
実に11年という歳月の後でした。

面会のあと、早紀江さんは言いました。
「会いに行きたいという思いは最初から持ち続けていまして、
特に主人は会いたいという思いはありましたので、
けれども向こうの国に入っていくことはできない、
いろいろな面で難しいと思っていましたので、
ほかの国で元気な間に会いたいという思いはありました。」
https://www.huffingtonpost.jp/2014/03/16/north-korea-abductees_n_4976862.html

本当は11年間、ずっと会いたかったのだ、という思いが溢れています。

そのウンギョンさんが祖父である横田滋さんの
病床を見舞うということを、何故誰も言わないのでしょう。
何故実現されないのでしょう。
病気の祖父を孫が見舞う、これは人として当然の行為でしょう。
拉致問題に取り組んでいるから孫に会うことができない、
というのでは本末転倒ではないでしょうか?

国交のない国であれば、それを可能にするのは
政治、外交の力しかありません。
人道的配慮、という考えからも実現させることはできないのでしょうか。

夫妻は、2014年の面会後、他の家族への配慮、遠慮から
「もう、会わない」という発言をされています。
https://www.sankei.com/affairs/news/160702/afr1607020002-n2.html
「拉致問題が解決されれば、自分達だけではなく、
他のご家族も自由に会えるようになるのだから」
と家族会の方々への配慮、
家族会が一枚岩であることを強調されているのです。

しかし、安倍総理が再三「日朝が直接対話をする」
と言いながら、その糸口さえもつかめていない今、
「ウンギョンさんが病気の祖父を見舞う」ということは
人道的配慮と共に、政治的な進展が望める唯一の道ではないのでしょうか。

「お見舞い」を政治的に利用するのか?という批判はあるでしょう。
政治的な思惑を排除できれば、一番良いのですが、
しかし、拉致問題自体が過度に政治的な案件である以上、
できることはするべきと考え、「お見舞い」を実現させても
良いのではないのでしょうか。

ウンギョンさんがめぐみさんではないことは誰でも判っていることです。
それでも、2014年の面会時、
夫妻はウンギョンさんやそのお子さん(夫妻にとっての曾孫)の中に
幼いときのめぐみさんの面影を見ているのです。
いつ、事態が動くのか判らない、
更に、動いた後でも、いつ被害者の帰国が実現するのか判らない今、
せめて、娘の面影を宿した孫や曾孫との面会を実現されることは
許されるものであると考えます。
いや、誰がそれを禁じることができましょう。

様々な理由をつけ、周囲への配慮をしながら、
気持ちを抑え続ける夫妻が気の毒でなりません。
ただ1つの、そして人道的な配慮から
今、ウンギョンさんの訪日、祖父へのお見舞いを
実現させることは、日朝双方にとって有益なことではないのでしょうか。

ある特殊なかたちの「解決」しか認めず、それ以外の進展を望まない人たちが
ウンギョンさんの訪日を阻止しようとするかもしれません。
しかし、それでは拉致問題の進展は望めないのです。
ウンギョンさんの訪日の可否は、
拉致問題解決、進展への意志があるのかどうかの
踏み絵となるかもしれません。

「病気療養中の祖父のお見舞いのために
孫であるウンギョンさんを訪日させてください。」
と多くの国民が声をあげ、後押しをすることは
人道的に考えて間違っていることではありません。

もし、ご同意頂ける方は、
どのようなかたちでもよいので、
是非声を挙げてください。

消化される予算としての拉致問題(補足)

日本政府
09 /02 2019
消化される予算としての拉致問題(補足)

先日「消化される予算としての拉致問題」という記事を掲載しました。
その中で拉致問題対策本部の予算額とその内訳について、
質問主意書の答弁書を基に触れてみましたが、
それは2017年のものだったので、
2015年度予算までしか扱うことができませんでした。

うかつなことですが、その後に、
拉致問題対策本部HPの「ニュース一覧」を見ていて、
定期的に「年度概算要求の事業区分別内訳」
が記載されていることに気付きました。
理由は分かりませんが、2015年からの記載になっています。

・平成27年度概算要求の事業区分別内訳(対前年度比較)
 https://www.rachi.go.jp/jp/archives/2015/documents/0114siryou.pdf
・平成28年度概算要求の事業区分別内訳(対前年度比較)
 https://www.rachi.go.jp/jp/archives/2015/0902siryou.pdf
・平成29年度概算要求の事業区分別内訳(対前年度比較)
 https://www.rachi.go.jp/jp/archives/2016/0831siryou.pdf
・平成30年度概算要求の事業区分別内訳(対前年度比較)
 https://www.rachi.go.jp/jp/archives/2017/0830siryo.pdf
・平成31年度概算要求の事業区分別内訳(対前年度比較)
 https://www.rachi.go.jp/jp/archives/2018/20180830siryo.pdf
・令和2年度概算要求の事業区分別内訳(対前年度比較)
 https://www.rachi.go.jp/jp/archives/2019/20190829siryo.pdf

答弁書と比較しても、項目だけでなく、概要もついていて、
より分かりやすくなっています。

それでは、答弁書と事業区分別内訳の内容を照らし合わせて、
第二次安倍政権成立後の、
拉致問題対策本部の予算の推移を、
内訳を中心に辿っていきたいと思います。
ところで中でも、「内閣府所管(組織)内閣本府(項)内閣本府共通費」は、
どうやら拉致被害者の帰国が達成できた場合の予算のようなので、
「内閣所管(組織)内閣官房(項)内閣官房共通費」
のみを見ていく事にします。

① 情報収集・分析体制の強化等経費
 (概要)情報収集・分析体制の抜本的強化のため、
拉致被害者等に係る安否情報及びその関連情報の収集・分析等に必要な経費
 
平成25年度から令和2年度まで(2013~2020年度)の8年間の予算額(以下同)
9億5百万 ⇒8億9千9百万 ⇒9億3千6百万 ⇒8億3千1百万 
⇒8億3千1百万⇒8億3千2百万 ⇒8億3千7百万 ⇒8億6千2百万(概算)

② 北朝鮮向け放送関連経費
 (概要)拉致被害者に対する励ましや時事情報の提供を行うための
北朝鮮向けラジオ放送の実施

5千6百万 ⇒5千8百万 ⇒6千9百万 ⇒9千5百万 
⇒1億4千4百万 ⇒1億5千9百万 ⇒1億6千2百万 ⇒1億9千1百万(概算)

③拉致問題理解促進経費
 (概要)報道関係者や有識者並びに広く国内外を対象とした理解促進(広報)の実施

8千5百万 ⇒1億9百万 ⇒1億2千9百万 ⇒1億8千1百万 
⇒1億8千5百万 ⇒1億8千7百万 ⇒1億8千6百万 ⇒2億4千9百万(概算)

④地域における拉致問題等対策経費
 (概要)地方公共団体等と協力した拉致問題に係る集会等の実施

1千3百万 ⇒1千3百万 ⇒1千3百万 ⇒1千3百万 
⇒1千3百万 ⇒1千3百万 ⇒1千3百万 ⇒3千万(概算)

⑤国際連携のための経費
 (概要)拉致問題解決のための協力要請を行うため、6カ国協議関係国等を訪問

5千2百万 ⇒5千5百万 ⇒5千5百万 ⇒5千5百万 
⇒5千5百万 ⇒5千5百万 ⇒5千5百万 ⇒5千5百万(概算)

⑥事務局事務経費等
 (概要)拉致問題対策本部の運営に必要な事務局経費

9千6百万 ⇒9千6百万 ⇒9千6百万 ⇒1億2千6百万 
⇒7千3百万 ⇒5千7百万 ⇒5千8百万 ⇒6千1百万(概算)

とりあえず、数字だけは揃えましたので、後の解釈は読む方々にお任せしたいところです。
なんと高額な!と驚く人もいれば、
拉致問題解決のためなら、国民は全てをなげうつべきだ、
という意見の人もいるでしょう。

参考に、私達なりの分析を付け加えておきます。

① 情報収集・分析体制の強化等経費
これが予算の中心となります。
2013~2018年の6年間で、
累計約52億3千4百万円が費やされたことになります。
これは妥当な金額なのでしょうか?

概要では「情報収集・分析体制の抜本的強化のため、
拉致被害者等に係る安否情報及び
その関連情報の収集・分析等に必要な経費」となっています。
拉致被害者等に係る安否情報といえば、
拉致被害者は全員生きている、
というのは、いつから言われだしたことでしょう?

少なくとも2013年より前であることは間違いありません。
そして今まで一切の変更はありません。
 2013年全員生きている 
⇒2019年全員生きている
どんな安否確認をしたのでしょうか?

特に、特定失踪者について考えてみましょう。
警察庁が「北朝鮮による拉致の可能性を排除できない行方不明者」として、
HPに人数を記載し始めたのは2013年。
当時の人数は862人でしたが、2019年現在の人数は881人です。

6年かけて、52億もの金額をかけて、
約800人もの人が未だ「拉致の可能性を排除できない」状態のまま、
というのはどういうことでしょう。
どう考えても、拉致の確実な可能性があるのであれば、
拉致被害者として認定し、
確実な可能性が見いだせなかったら、
「北朝鮮による拉致の可能性を排除」し、
一般の行方不明者とするだけの、時間も費用も充分以上あったはずです。

なぜほとんど変化なし、なのでしょうか?
特定失踪者=拉致被害者と信じて救出活動をしている特定失踪者家族に、
申し訳ないとは思わないのでしょうか。
延々と宙ぶらりんな状態にしておいて、その心痛はいかばかりか。

とにかく、6年かけて、52億もの金額をかけたのであれば、
たとえ、結果を出したとしても、妥当な費用だったか問われるべきレベルです。
結果を出してない、なら何をかいわんや。
今までなにをしてきたのか、問い質されるのは当然です。

もはや、質問主意書の答弁書でよく書かれているような、
「お尋ねについては、
今後の対応に支障を来すおそれや
関係者のプライバシーを侵害する恐れを考慮する必要があるため、
一概にお答えすることが困難である」
「いずれにせよ、今後とも、
拉致問題の解決に資するあらゆる方策を検討してまいりたい」
「全ての拉致被害者の安全確保及び即時帰国のために
全力を尽くしているところである」
などという高圧的な言い逃れが通用する時期はとっくに過ぎている、
と言わなければなりません。
結果を出していないのですから。

更に、拉致問題対策本部が水面下で、
大変レベルの高い情報活動をしていたと仮定すると、
腑に落ちないのがの数字です。
⑥は「拉致問題対策本部の運営に必要な事務局経費」ですが、
なぜか、この数字だけ半減しています。
ずっと高レベルの情報活動をしていて、事務局経費だけが半減する、というのはあまりに
不自然な話ではないでしょうか?

②北朝鮮向け放送関連経費
これについては、かなり問題のある数字であると言えるでしょう。
数字がどんどんはねあがり、ついには3倍になっています。
概要は「拉致被害者に対する励ましや時事情報の提供を行うための
北朝鮮向けラジオ放送の実施」ですが、
予算が3倍にはねあがるのであれば、
当然目覚ましい成果が挙がっていなければなりません。
そんなことは常識以前の問題です。

さて、拉致被害者への励まし、または、拉致被害者への時事情報の提供が、
確実に行われた、という具体的な成果はあったのでしょうか?
拉致被害者との連絡もとれていないのに、確認できるはずがありません。
予算が3倍にはねあがる根拠はないのです。
ではなぜ、こんなに異常な金額の予算がついているのか?

今年の5月19日の国民大集会で、菅官房長官は以下のように語りました。
「また特定失踪者問題調査会とも連携をしながら、
北朝鮮に向けたラジオ放送を行っていますが、
今後もその強化に取り組んでいきます。」
3倍に上げたのにも関わらず、まだ強化に取り組むなどと言っています。
尋常な行動ではありません。

そして連携相手として特定失踪者問題調査会を挙げていますが、
最初から「拉致被害者に対する励ましや時事情報の提供を行うための
北朝鮮向けラジオ放送の実施」しているのは、拉致対と調査会だけです。
https://www.rachi.go.jp/jp/shisei/radio/index.html

このブログでも何度も批判してきましたが、調査会とその代表の荒木和博氏は、
特定失踪者をあたかも拉致被害者そのもののようにミスリードしたり、
拉致被害者救出に自衛隊を活用することに執着したり、
北朝鮮へのヘイト感情をむやみと煽ったり、
拉致問題の負の部分について、相当の責任のある方です。

それらの人々に関わる費用が、異常なまでの上昇を示している。
これは、彼らの言動は、政府の意図を反映したものである、
と捉えられても仕方がない状況であると言えます。

③④⑤
これらは全て啓発・広報に関わる費用と言えます。
実質拉致問題対策本部の眼に見える仕事の、
全てはこれであると言ってよいでしょう。
金額が妥当であるかは、意見の分かれるところです。

啓発・広報に関わる件については、
前回の「消化される予算としての拉致問題」で、
国際連携については、その中心のなす訪米について
「拉致問題における訪米の意義」
http://serenityprayer323.blog.fc2.com/blog-entry-104.html
で触れていますので、ここでは繰り返しません。

税金はただ、盛大に遣えばよい結果につながる、というものではないことは、
なにも私がここで言わなくても、皆さん先刻ご承知のことと存じます。
拉致問題の早期解決のために、今の予算の遣い方は妥当なのか、
結果を出すためには、もっと別な使い道があるのではないか。
具体的な数字を基にして、是非考えて頂きたいと思います。

消化される予算としての拉致問題

日本政府
08 /28 2019
消化される予算としての拉致問題

① 拉致に関わる映画
最近、拉致問題周辺において、
映画のクラウドファンディングの話がよく出てきています。

https://readyfor.jp/projects/megumi-movie
映画「めぐみへの誓い」を製作し拉致問題解決を全世界に訴える!
「北朝鮮による拉致の真実を描き、
2014年より政府主催で全国31か所で上演され、
各地のメディアで取り上げられ、
圧倒的評価を得ている演劇「めぐみへの誓い-奪還-」を
民間人の支援だけで映画化し全世界の映画祭に参加、
国際世論に訴える事で拉致問題解決の切り札としたい。
 そして、それには、より多くの支援者を募る為、
他国に負けないより訴求力のある映画にする為、
2000万達成後もさらなる支援拡大に挑戦する覚悟です。」

その他いろいろ書かれていますが、
首をひねるところ、思わず突っ込みたくなるところが満載です。

まずは思いつくまま挙げていきましょう。
●映画はお金が集まれば、すぐにできる訳ではありません。
「映画化し(来年3月末に完成予定だそうですが)
全世界の映画祭に参加、
国際世論に訴える事で拉致問題解決の切り札と」するまで、
どのくらいかかると見込んでいるのか分かりませんが、
その期間拉致問題の解決はない、と関係者は確信しているのでしょうか?

●映画はつくりさえすれば、
その内容が多くの人に知れ渡るというものではありません。
まず「面白く」「皆が見たがる」映画を撮らなければ、目的は達成できません。
みたところ、関係者に過去、ヒット作に名を連ねた人はおらず、
これから決まるであろうスタッフ・キャストも、
2000万円の枠内ではスターをそろえるのは難しそうです。
傑作をつくる目算はたっているのでしょうか?

●原作は「2014年より政府主催で全国31か所で上演され、
“各地のメディアで取り上げられ、圧倒的評価を得ている”
演劇「めぐみへの誓い-奪還-」」です。
私は2回この演劇を見たことがありますが、
観客の大半は明らかに動員でした。
入場無料の演劇なのに、観客が動員。
これを映画化して、多くの人に見てもらえる、
との確信はどこからきているのでしょうか?

●原作の演劇は、かなりの部分がフィクションであり、拉致だけでなく、
北朝鮮の体制を批判する内容が大半になっています。
「全世界の映画祭に参加」する際、北朝鮮から非難され、
上映差し止めを求められる可能性は大ですが、対策は万全なのでしょうか?

●「他国に負けないより訴求力のある映画」とありますが、
拉致問題を取り扱った映画がそんなに沢山、
諸外国で撮られているのでしょうか?

●PVはなぜ、アメリカ大統領のトランプ氏から始まるのでしょうか?

●アニメの「この世界の片隅に」でも、
クラウドファンディングの金額は4000万円でした。
2000万円と演劇畑の監督で、
「全世界の映画祭に参加」できる作品ができるのでしょうか?

●「特に「ホロコースト」「強制収容所」という
悪夢の記憶を持つ欧米の観客への衝撃は強いものと期待出来ます」とありますが、
ホロコーストどころか、拉致問題では死者は皆無だと主張しているのは、
拉致関係者と日本政府ではないのですか?
それで、ナチスによるホロコースト、強制収容所の問題と
拉致問題を対比させることは可能なのでしょうか?
欧米におけるホロコーストの位置づけを承知しているのか疑問です。
※原作の演劇では強制収容所を扱っていますが、あくまでフィクションです。

●拉致問題について「今の日本映画界では、たった一本も製作できない。
いや、しない。それが現状です」とありますが、
なぜそうなのか考えないのでしょうか?
客が入らないから、ということになぜ考えがいかないのでしょうか?
エンタテイメントという映画の側面を考えれば、
興行収入が得られるかどうかは重要なことです。

まだまだいくらでもありますが、このくらいにしておきましょう。
実はそれらより、ひどく気になる部分が、この記事の後の方にありました。
「資金の使い道」の最後の部分です。

「また作品完成後のポスター、チラシ、パンフ、予告編、宣伝、試写会開催、
内外映画祭への出品のための経費、等の費用がかかりますが、
それは別途考えたいと思います。」

え!?
思わず絶句するところです。
「別途考えたい」の一言で済むことではないでしょう。
名前だけで客やマスコミが押し寄せてくる大スター、
巨匠監督が関わっているのでない以上、
それらに膨大な費用がかかることは、最初から分かっている話です。
※参考にヤン・ヨンヒ監督『スープとイデオロギー』の
クラウドファンディングの記事を引用します。
記事中の「想定されるリスクとチャレンジ」を参照。
https://motion-gallery.net/projects/yangyonghi
なぜ彼らはこんなに楽天的なのか?
いざとなれば、監督やプロデューサーが自腹を切るのでしょうか?
あまり現実的ではありません。
今の時点では可能性しか言えませんが、
日本政府が出資することになるのではないか。
そう思えます。

「何故民間でお金を集めてつくるのか」の説明文に、
「日本では、国のお金で作った映画は一般映画館では公開できません。
民間資金で映画化することで、様々な劇場で上映可能になります。」
とあります。
民間資金にする主要な理由がそうだとすると、
本当は国のお金で作りたかったのだ、という意思が見えてきます。
その場合、資金不足になったとき、「自業自得」と突き放すでしょうか?
ちょっと考えられません。

ヒットする可能性の乏しいプロパガンダを目的とした映画を、
現在、拉致問題対策本部がアニメ「めぐみ」や
映画「めぐみ-引き裂かれた家族の30年」上映会、
演劇「めぐみへの誓い-奪還-」でそうしているように、
税金を使って上映してまわり、
日本政府がどんなに熱心に拉致問題に取り組んでいるかを示す
「実績」にしようとする可能性。

そうであれば、「別途考えたい」の一言で済むでしょう。
しっかり、親方日の丸がついているのです。

実は考えそこに至るまで、この映画の件には、
あまり関心がありませんでした。
エンドクレジットの名前の記載につられて、
お金を出したい人はいくらでも出せばいい、
と考えていました。
しかし、ことは制作費2000万円で終わる話ではありません。

これが「拉致」に関わる映画でなければ話は簡単です。
ヒットしなければそれまでです。
関係者は地獄をみることでしょうが、私達には関係ありません。

しかし「拉致」に関わる映画だから問題です。
可能性は限りなくゼロに等しいですが、
誰もが見たくなる大傑作が製作されればまだしもです。
そうでなかったらどうなるか?
内容がどうであろうと、
なんとしても「啓蒙」のために見せようとするでしょうし、
そのために私達の税金が惜しげもなくつぎ込まれることになります。
それは2000万などというわずかな金額をはるかに超えるものになることは、
容易に想像できます。

更に、教育現場、教育関係者、一般国民を巻き込んで、
思考・視線を有る方向へ向けようとする意図は
皆無であるといえるでしょうか?
今まで拉致問題周辺で、繰り返してこられたように。

今は可能性・推測に過ぎませんが、恐らく目標額が達成されるだろう時期、
9月16日に拉致問題の国民大集会が開かれます。
集会で映画『めぐみへの誓い』について、どれくらい触れられるか?
今後注目していきたいと思います。

②VRで拉致を再現?
先日このような記事がありました。
https://www.sankei.com/world/news/190802/wor1908020021-n1.html
「政府がVRで「拉致」を再現 
横田めぐみさんのケースを想定し「苦しみ痛みの疑似体験は意味ある

若い世代で北朝鮮による拉致事件の風化が懸念される中、
政府の拉致問題対策本部が
横田めぐみさん(54)=拉致当時(13)=の事件を再現し、
追体験する仮想現実(VR)の映像を制作したことが2日、分かった。
7、8両日に東京・霞が関で行われる夏休みイベント
「こども霞が関見学デー」で公開される。
 めぐみさんは中学1年だった昭和52年11月15日夕、
新潟市で学校から帰宅途中に拉致された。
事件は不明点も多いが、
複数の工作員が工作船で連れ去ったとする元工作員の証言がある。
 撮影にはめぐみさんをテーマにした舞台
「めぐみへの誓い-奪還」を手がける劇団「夜想会」(野伏翔氏主宰)が協力。
7月末、拉致現場とされる自宅周辺や近くの海岸、
めぐみさんが通った中学校などを訪れ、俳優らと当時を再現した。
 映像は約4分間で、VR用のゴーグルをつけて視聴できる。
はじめは第三者の視点で、
めぐみさん役と友人役の俳優ら3人が下校する様子から始まる。
めぐみさんが友人と別れた後は、
めぐみさん役の視点になり、
工作員役に腹を殴られたり頭から袋をかぶせられたりする。
視界がなくなった直後、
めぐみさんが工作船の船底に閉じ込められた状況を再現した薄暗い空間が、
眼前に広がる。
 VRで拉致を再現することには、
「過激だ」などとして一部で慎重論もあったが、
脚本、監督を務めた野伏氏は
「拉致問題が進展しない中、
未来を担う世代に拉致の苦しみや痛みを
疑似体験してもらうことは意味がある」と説明。
「若者の関心を引くツールであるVRを活用し、
啓発に貢献できれば」と強調した。」

この件についてはツイッターなどをチェックすると、
「憎しみを煽るだけ」「トラウマにしかならない」
「拉致問題の解決には1ミリも役に立たない」
などの意見があり、まさしくその通りだと思います。

さらにここで問題にしたいのは、記事中の、
「野伏氏は「拉致問題が進展しない中、
未来を担う世代に拉致の苦しみや痛みを
疑似体験してもらうことは意味がある」と説明。
「若者の関心を引くツールであるVRを活用し、
啓発に貢献できれば」と強調した。」の部分です。
この説明で霞が関の皆さんは納得したんだ!
これで予算がついたんだ!
そのことに非常な違和感を覚えます。

仮に拉致問題にかけられる予算が、ぎりぎりであったなら、
このような余りにも遠回りな企画が通ることがあるとは、考えられません。
この件から、拉致問題にかけられる予算は、
よほど潤沢なものなのだ、と推測されます。
この事例からは、
まるで無理に予算を消化しているような印象さえ与えられます。
気のせいでしょうか?

③消化される予算としての拉致問題
有田芳生議員より今年の1月28日付で
「拉致問題対策本部の活動状況と役割に関する質問主意書」
が出されています。
https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/198/syuh/s198001.htm

その7条は以下の内容です。
「七 平成十八年に初代の本部が設置されてからの予算額と
その執行状況について、本部内のそれぞれの部署ごとにお示しください。」

それに対する答弁書が2月5日に、
内閣総理大臣 安倍晋三 の名前で出ています。
https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/198/touh/t198001.htm
7条に対応する部分は以下になります。
「お尋ねの「平成十八年に初代の本部が設置されてからの
予算額とその執行状況」及び「本部内のそれぞれの部署ごと」
の意味するところが必ずしも明らかではないが、
「内閣所管(組織)内閣官房(項)内閣官房共通費」のうち
内閣官房拉致問題対策本部事務局に係るもの及び
「内閣府所管(組織)内閣本府(項)内閣本府共通費」のうち
内閣府大臣官房拉致被害者等支援担当室に係るものについて、
年度ごとに、①予算額及び②執行額をお示しすると、次のとおりである。
 「内閣所管(組織)内閣官房(項)内閣官房共通費」のうち
内閣官房拉致問題対策本部事務局に係るもの
 平成十八年度 ①約二億六千九百万円 ②約二億三千二百万円
 平成十九年度 ①約四億七千三百万円 ②約三億八千百万円
 平成二十年度 ①約五億三千四百万円 ②約四億三千七百万円
 平成二十一年度 ①約六億二千六百万円 ②約三億二千五百万円
 平成二十二年度 ①約十二億四百万円 ②約三億五千五百万円
 平成二十三年度 ①約十二億四百万円 ②約三億四千八百万円
 平成二十四年度 ①約十二億四百万円 ②約四億六千九百万円
 平成二十五年度 ①約十二億七百万円 ②約八億五千八百万円
 平成二十六年度 ①約十三億三千万円 ②約十億七千八百万円
 平成二十七年度 ①約十二億九千八百万円 ②約十億六百万円
 平成二十八年度 ①約十三億円 ②約十一億二千六百万円
 平成二十九年度 ①約十二億九千六百万円 ②約十一億七千百万円

 「内閣府所管(組織)内閣本府(項)内閣本府共通費」のうち
内閣府大臣官房拉致被害者等支援担当室に係るもの
 平成十八年度 ①約四千六百万円 ②約二千万円
 平成十九年度 ①約五千万円 ②約千七百万円
 平成二十年度 ①約五千万円 ②約千六百万円
 平成二十一年度 ①約五千万円 ②約千三百万円
 平成二十二年度 ①約三千六百万円 ②約九百万円
 平成二十三年度 ①約三千六百万円 ②約九百万円
 平成二十四年度 ①約三千四百万円 ②約九百万円
 平成二十五年度 ①約三千三百万円 ②約八百万円
 平成二十六年度 ①約三千五百万円 ②約九百万円
 平成二十七年度 ①約三億二千七百万円 ②約五百万円
 平成二十八年度 ①約三億三千七百万円 ②約八百万円
 平成二十九年度 ①約三億四千九百万円 ②約八百万円」

随分堂々としたものです。
ところで第二次安倍内閣成立は2012年(平成24年)12月26日。
つまり安倍内閣が関わるのは平成25年度以降になります。
そう考えると一目で分かるのが、
内閣府大臣官房拉致被害者等支援担当室に係る予算の執行額です。
それ以前から倍増し、年に約10億円が費やされるようになっています。
平成29年までしか記入はありませんが、
それ以降、格別な変化がおこる理由はありません。
第二次安倍政権成立以降、
60億円以上の税金が拉致問題に投入されていることになります。

さて60億円遣って、どのくらいの業績をあげたのでしょうか?
というより、60億円を一体何に遣ったのでしょうか?
税金を払っている私達は、それを知る権利と義務があります。

ところで他の質問主意書への答弁書によると、予算の細目は以下になります。
https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/193/touh/t193034.htm
「参議院議員有田芳生君提出拉致問題対策本部事務局等の
予算・決算に関する質問に対する答弁書」
お尋ねの「過去三年」の「予算・決算」の
「(項)内閣官房共通費」の予算について、
経費ごとに①名称及び②補正後の予算額をお示しすると、次のとおりである。

 平成二十五年度
①情報収集・分析体制の強化等経費 ②約九億五百万円
①北朝鮮向け放送関連経費 ②約五千六百万円
①拉致問題理解促進経費 ②約八千五百万円
①地域における拉致問題等対策経費 ②約千三百万円
①国際連携のための経費 ②約五千二百万円
①事務局事務経費等 ②約九千六百万円

 平成二十六年度
①情報収集・分析体制の強化等経費 ②約九億九千九百万円
①北朝鮮向け放送関連経費 ②約五千八百万円
①拉致問題理解促進経費 ②約一億九百万円
①地域における拉致問題等対策経費 ②約千三百万円
①国際連携のための経費 ②約五千五百万円
①事務局事務経費等 ②約九千六百万円

 平成二十七年度
①情報収集・分析体制の強化等経費 ②約九億三千六百万円
①北朝鮮向け放送関連経費 ②約六千九百万円
①拉致問題理解促進経費 ②約一億二千九百万円
①地域における拉致問題等対策経費 ②約千三百万円
①国際連携のための経費 ②約五千五百万円
①事務局事務経費等 ②約九千六百万円
 また、これらの経費の決算額及び不用額については、
経費ごとに区分して計上しておらず、お答えすることは困難である。

ほとんどの費用が「情報収集・分析体制の強化等経費」に
費やされていることになっています。
しかしこれは実におかしな話です。
なぜなら政府による拉致問題対策本部のHPを見ると、
その仕事の中に情報収集・分析など一切挙げられていないからです。
https://www.rachi.go.jp/jp/shisei/taisaku/index.html 実のところ、
日本政府が拉致問題で、
独自な情報収集・分析を行い、何らかの結果を出したところなど、
ただの一度も見たことがありません。
一体これで、どこに年間10億円も遣っているのでしょうか?
私達には知る術がありません。

しかし、明らかに大金が遣われていることが分かるところはあります。
●全国各地で毎月のように行われている拉致の集会。
映画上映。ほとんどが内閣官房共催。
多額の費用が予想されるのに全て無料。
拉致問題関係者・右翼シンガーなどが毎回動員されます。

●政府主催の拉致問題啓発演劇「めぐみへの誓いー奪還―」
全国31か所で公演を行ったそうです。入場無料。
相当な費用がかかっているはずです。

●毎年GWに行われる訪米団、アメリカでのシンポジウムなどの開催。
訪米団は一人や二人ではありません。
膨大な費用がかかります。
家族が訪米する費用も当然ここから支出されます。

●学校における拉致教育

●ポスター

結果が伴っているのであれば、
費用のことをとやかく言うつもりはありません。
もちろん結果は伴っていません。
と言うより、上に挙げられているものは、拉致問題の解決とは、
何ら関係のないものばかり。
「啓発」といわれる広報活動です。
敢えて言うなら、結果を問われることすらありません。
ルーティンワークとして、ただこなしているだけです。

年間10億円の税金の投入が見込まれるのであれば、それは一大産業です。
それが日々の生活の糧となっている人々は一人や二人ではないでしょう。
「一日も早く解決が望まれる」拉致問題ですが、
ある日突然10億円産業が消滅して、
誰にも影響がない、ということは考えられません。
ただやっていればよく、
結果を求められることのない仕事で生活している人たちが大勢いたとして、
果たしてその人たちが、
自分達の仕事が一日も早くなくなるような行動をとるものなのかどうか、
よく考えて頂きたいと思います。

救う会で活動をしていた時、
集会などを開催すると、議員の先生方から電報が届きます。
「拉致問題啓発のための集会開催おめでとうございます。」
何時までも解決をせずに、開催され続けている集会を
「めでたい」と祝福する言葉に唖然としたものです。
そして、集会が終わると、殆ど時間を置かず、
次年度の集会開催の準備に取り掛かるのです。
その時に、関係者からは
「これを来年も開催せずに済むようになれば良いのに。」との言葉が
聞こえてくることは、殆どありませんでした。

私達はジャーナリストではなく、
例えば「拉致問題の経費ごとの決算額及び不用額」
について書かれた内部文書を
手に入れている訳ではありません。
しかし全体的な状況を見て、ある程度類推できることはあります。

現実として多額の税金は投入されていて、結果は全くともなっていない。
それについて責任を取る人は誰もいない。
そしてなんの反省もなく、
最初から結果を伴う可能性の乏しいプロジェクトが今日もまた、
関係者の間で立てられている。
それらのことは秘密なことでもなんでもなく、見れば分かることです。

それは問題ではないでしょうか。
拉致問題の具体的な解決を求める意味でも。

外国に囚われている国民を救出に直結することに、
税金を投入することは間違ってはいません。
しかし、国内向けの、支持者向けの啓発と言う名の広報活動に
多額の税金を使い、実際の救出という結果に結びついていない現状。

いや、「一日も早く」といつも言っているその一方で、
「圧倒的評価を得ている演劇「めぐみへの誓い-奪還-」を
民間人の支援だけで映画化し全世界の映画祭に参加、
国際世論に訴える事で拉致問題解決の切り札としたい。」
などという悠長なプロジェクトに、
一言の疑問を言う拉致関係者もいない。

そのような状態では、これからも毎年約10億円の予算が組まれ、
具体的な救出につながる活動ではなく、
広報・啓発活動で消化されていくのではないでしょうか?
これからもずっと。
今までそうであったように。

第25回参議院選挙に寄せて

未分類
07 /28 2019
第25回参議院選挙に寄せて

このブログは拉致問題に特化したものとしているので
社会にある様々な問題について語ることは、意図的に控えてきました。
ただ、今回の参議院選挙における、Twitterへの投稿や
他のブログの記事を読み続けてきて、
保守・ネトウヨ陣営vsリベラル陣営 という図式が出来上がり
あたかもその2つしか存在しないかのように人々を括っているかのよう、
相手陣営に単純にレッテル貼りをし、自分達vsその他に分け、
相手を排除しているかのように見える部分がありましたので、
「排除と包摂」という私達の基本にある考え方から
この状況について書いてみることにします。

私達が以前、拉致被害者救出支援活動のために
救う会という組織に所属していたことはプロフィールにもある通りです。

*救う会について少し説明をします。
「北朝鮮に拉致された日本人を救出する〇〇の会」という名称で
「救う会」は各県に1つだけ存在し、〇〇の中には、その県名が入ります。
ただし、救う会東京というのはなく、全国協議会がその役割を果たしています。
そこに居た時は、拉致は日本国に対する主権侵害なのだから武力使用をしてでも
被害者を取り戻すべきである、と考えている人達が多くを占める中で、
私達もそのような考え方に「まあ、そのような人がいるのは仕方がないか」
という程度で、積極的に反対はしませんでした。
今では救う会は、その当時より、かなり過激に武力使用や
「全員即時一括帰国以外認めない」という非現実路線をひた走っています。
勿論安倍政権寄り(殆ど支持)であることは言うまでもありません。

そのような、多くの人達が抱く、イメージ通りのウヨク・ネトウヨという人達以外に
ここ数回の選挙で明らかなように、ごく一般的な人達が
自民党を消極的にでも支持しているという事実があります。
その一般的な、無党派的な消極的自民党支持者に対しては
「彼らは頭が悪すぎる。自分の首を絞めていることにすら気づかない。
日本人は民度が低い。消極的支持でも自民党支持なら、ウヨクと同じ」
というような声が飛んでいます。
彼らは現実が見えていないという立場からの批判・排除です。

しかし、立ち止まって考えてみましょう。
彼らのような、誰が話していようが街頭演説に足も止めず素通りをする。
TVで放映される政見放送も観ない。
youtubeでわざわざ探して候補者の動画を観ることもしない。
当然、街頭演説で支持者に声援を送ったり、
選挙候補者や政党のチラシをポスティングなどせず、
家のポストにチラシが入っていれば、即ごみ箱へ、
という無関心な
しかし、投票時には「自民党で良いんじゃないの?とりあえず。」という
行動をする人達。
彼らは何故、そうなのか?何故、そう考えるのか?
そこを考えずに「彼らは考えることをしない奴隷志向の持ち主だから」
で終わらせ、排除してしまえば、彼らの気持ちを次の選挙の時に
振り向かせることはできないのではないでしょうか。
「実際痛い目に遭わなければ判らない人たち」
という見方は不毛ではないでしょうか。

私の知り合いに30代で2人の子どもがおり、
正規雇用者、共働きの青年がいます。
ごく一般的なモデルだと思います。A君としましょう。

彼は特に「何がしたいから、この大学へいく!」
というようなこともなく、「皆行くから」と大学へ進学し、就職をしました。
世間の人達が誰でも知っているような大きな会社ではありません。
そこで結婚をし、子どもが誕生。
このままこの会社に居てもと考え、資格を取り続け、
少しづつステップアップしながら少し大きな会社へ転職をしました。
そこでも更に勉強を続け次なるステップアップをしようとしています。

誰でも今の生活よりは、少しでも豊かに、安定した生活を送りたいと
考えますがA君も同じです。
平日は出勤前に子供たちを保育園へ送り、
帰宅後は勉強をし、家事も分担し、
休日には子供と遊び、という生活をしています。
政治にはほぼ無関心で、平日のニュース番組を観る程度の様です。

先日、そのA君と選挙について話しをする機会がありました。
彼は「自民党でしょうね。だって今のままでいいじゃないですか。」といいました。

新自由主義社会となり、競争、競争と追い立てられる生活がいいのか?
と思いましたが、
A君、そして彼に代表される多くの人達は、
中学、高校、大学、そして就職をしてからも
「組織」の中で競争しながら生きてきました。
部活、受験(塾や予備校)、毎日がとても忙しい生活を送ってきたのです。
その中で、希望通りにいかないことに遭遇し、
自分よりも優れた人達を多く見てきたことでしょう。
頑張っても「彼らのようなエリートやスーパーエリートにはなれない」
という存在を見て、感じ、
それでもその時できることを自分なりにしてきたのでしょう。

どんなに頑張っても超えるどころか、届かない才能を持ったエリートがいる。
しかし、下を見れば、まだそこにも誰かがいる。
底辺までは落ちたくない、今の位置でいいから、
それを保つためにできることをする。持てる力を使って。
それでやっと、今の位置に居続けているのだとしたら、
それには、ある程度の努力が必要なのは
仕方ないだろう、当然だろう、
自分たちもギリギリで努力をしてるのに
下にいる人達が 苦しいといっても、
それは努力不足だからだ=自己責任
という考え方になっているとしたら、
それは、ある意味仕方がないことなのではないでしょうか。
少なくとも、全く理解不能な発想ではありません。

つまるところ、自分以外の大変な人達を思いやる余裕がないのです。
A君自身も大変なのですが、それは周りも同じ、
「当たり前のこと」という認識でいるのです。
自分より「遙かに」大変な人がいるかもしれない、
ということに想像力を働かせる余裕がないのです。

新自由主義社会が作り出す、成果主義。
ここに嵌め込まれてしまって、逃げ出せないなら
そこで、何とかするしかないのです。
個人の才能、親の財力を持たない、ごく一般的な多くの人達(私もそうですが)は
生活維持に忙しく、周りを見られないようにされているのです。
上にいくことは諦めるけれど、下に落ちることはできないから
”今“を踏ん張る、益々周りを見る余裕がなくなる、
という悪循環に嵌め込まれているのだろうと思います。
新自由主義とグローバリズムによる分断です。
上か下かで言えば、彼らも下なのですが、それより下もいて、
そこには行けない、と思わされている。
勿論、それが差別の温床になっています。

本当は、弱い人たちが生きやすい社会、
存在するだけで「あなたはあなたのままで良い」と言われ
生きて行ける社会が理想です。
しかし、それは少し考えてみれば、大きな理想ではあるけれど、
中々困難な道であることも判ってしまう。
不可能だと諦めさせられてしまう。

大きな力を持たないA君たちにしてみれば
現実を理想に近づける努力をすれば、何とかなると言うものでもない、
自分は自分の家族を守るだけで精一杯だから。
その小さな幸福を守る為には「努力」が必要、
それができないのはしない人が悪いと言う刷り込みには気付けないほどに、
忙しい、ということではないのでしょうか。
努力をしても思い通りの結果を得られない、
様々な事情で努力をすることができない、しづらい人もいますが
それらを考えないのではなく、考えないようにさせられているのです。
悪循環に取り込まれているのです。
社会的に有名な大手企業でさえ4000人~5000人規模での早期退職募集です。
ましてや日産にいたっては、その倍以上の人数の
早期退職者を募集するというニュースが最近報道されたばかりです。

そこから出て、実力で次を得られる保証はありません。
その中に入らないようにと願う恐怖はどれほどのものでしょうか。
フリーランスで生きて行くほどの勇気も、能力も無ければ
“そこ”にしがみ付くしかないのです。

「人を思いやれないお前は、優しくないとは言われるけど、
俺達も必死で頑張ってるんだよ!
頑張れない人の事を考える余裕なんてない、”今“が大事だから自民党。」
というA君のような人達を、
「今の状況も認識できず頭が悪いな。ホント、どうしようもないわ。
彼らが日本の未来を壊しているのだ。奴隷根性に取りつかれて。」
と切り捨てることは
弱い立場に気持ちを寄せる人達が言ってしまってよいのでしょうか。
そこには、やはり排除、切り捨てが存在するのではないのでしょうか。
人権・リベラルをいうのであれば、
そこは一歩歩み寄り、彼らの言い分を
まず、聞くことが必要なのではないでしょうか。

奴隷根性から抜け出して、自由がいいに決まっているではないか。
と誰しも思うでしょう。
しかし、自由は厳しいものです。
自分で考え、決断し、結果の責任も自分でとる。
それは、能力、強い精神力、行動力のある人には心地よいかもしれません。
しかし、私のような凡人には中々辛いことです。
誰か、強い指導者がいて、引っ張っていってくれたらよいのに、
と思うことはあるでしょう。
強いリーダーシップがある人についていければ、楽で良いのですから。
それが行きすぎると、ファシズムへと陥ります。
エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』にある通りです。
そのような奴隷根性、「自由からの逃走」は
何もヒトラーのドイツに始まったわけではありません。
旧約聖書の「出エジプト記」にも描かれています。

*出エジプト記
古代のエジプトでユダヤ人は奴隷として使役されていました。
彼らは、モーセという力強い指導者に導かれ、エジプトを脱出します。
家族、家畜を伴い、追手のエジプト軍を振り切り
(ここは有名な映画『十戒』、『エクソダス 神と王』の
海が割れるシーンでおなじみです)
荒野を旅します。
しかし、追手を振り切ったものの、荒野には水も食料もありません。
「ああ、エジプトで奴隷でいた方が良かった。
毎日、肉のスープを食べられていたのだから。
モーセに付いてきてバカを見た。また奴隷でもいいからエジプトに戻りたい。」
と嘆くのでした。

人の本質とは、昔から変わらないのです。

A君たちが通っていた公立中学校では、
いわゆる制服は「標準服」という名称でした。
標準服なのですから、白いシャツ、黒いパンツであれば、
ほぼ何でもよかったのだろうと思います。
しかし、自由に白いポロシャツや黒のパンツで通う生徒はいませんでした。
学校指定の業者から「標準服」を購入し、「制服」のように着ていたのです。
何故でしょう?
人と違う服装をして、何か言われた時にそれを押し通すだけの
勇気も強さも持たないからです。
「彼らは奴隷根性に心底侵されている。どうしようもないな。」
と批判できる人はいますか?
「いじめ」を在学中に一度も認識したことがない、
という人がいれば、
その人は無意識の加害者だった可能性があります。

「自由にしても良いのだよ」とは本当はとても怖いことなのです。
「寄らば大樹の陰、長いものには巻かれろ」的な人達にとって
生きづらいけれど、安定していると感じられるから「自民党でいいや」
となるのでしょう。
その先のことを考える想像力を持つ余裕もないのです。
“今現在”少々の不満はあれども、何とかなっていると思うなら
その“安定”をわざわざ壊そうという冒険は考えないでしょう。
たとえ、近い将来地獄が待っている、と理路整然と説明されたとしても。

そんな彼らを、バラマキや迎合的ではない地に足のついた言葉、政策で
彼らを振り向かせることができるのは誰でしょうか?
アジテーションではなく、熱狂させることもなく、
彼らの心を射抜くのではなく、
静かに彼らの心に届く言葉を語れるのは誰でしょうか?
熱狂させられて、一時の熱に惑わされてはならないことは
言うまでもないことです。
熱情的な言葉や動作に“感動”させられることのない冷静さ・慎重さは
常にもっていなければなりません。
一時的な熱狂で何度も裏切られてきたのですから。

「もっと面白くしましょう」という声があがることがあります。
政治はサッカーやゲームではありません。
私たちの生活や命、未来がかかったものです。
面白くなくても良いのです。
面白がる必要もありません
関心を持ってもらう為に奇をてらう必要はありません。
面白くなくて良いのです。

A君たちのような「変化ではなく安定を望むので、消極的自民党支持」
という人達を「頭悪すぎ」と排除するのではなく、
彼らに届く言葉を語ってください。

以前リベラルの集会で、
大学の先生・学生たちによるパネルディスカッションがありました。
その中で、
「私の周りには安倍支持者など誰もいないよ。
一体どのような人が安倍総理を支持してるのでしょうね」
というような発言があり、一同そろって頷くという場面がありました。

彼らにはA君のような人たちのことが目に入りにくいのでしょう。
大学、という特殊な社会で生活している以上、それは無理からぬことであり、
それをどうこう言う気はありません。
大学人である以上、学問や研究で社会貢献して頂ければ充分です。

それではA君のような人を日々目にしていて、
ある程度共感できる人は誰なのか?
それはその時の聴衆であったと思います。

よく集会や勉強会などで、質問時間に
「では私達は具体的に何をすればいいのでしょうか?」
と聞く人がいます。

その人たちは、話を聞いて、やることも教えてもらおうとしますが、
人間そのように一方的に、
与える人と与えられる人に分けられるものではない、と私は思います。
話をする人は自分のもっている最良のもの使って話をする。
とても大事な事です。
一方それを聞いた人は自分なりに咀嚼し、
他の人とその件について話しをし、周りに伝えていく。
それも同じように大事な事です。

いや、一人一人のコミュニケーションズにつながらなければ、全ては虚しいこと。
という見方もできると思います。
ただ、聞いて、「良かった。感動した。」と
そこで話された通りのことを鵜呑みにしてしまうのでは
「それ」か「あれ」かの二項対立にしかなりません。
それはそれで、自分で考えてはいないということになります。
ただ、熱に浮かされているだけでしょう。

皆さんのできることは色々あるでしょう。
署名活動・寄付・ビラ配り・ポスティング・ポスター貼り・・・
それぞれ大事な事です。
しかし一方で内心
「自分達はこんなに頑張っているのに、なぜ分かってもらえないのだ!」
と思っているのでは、思いはそこでストップしてしまいます。

「私達と同じように頑張っているはずの人たちに、
なぜ私達の思いが伝わらないのだろう。
彼らが何を考えているのか知りたい。聞いてみたい。」
そう思ってはもらえないでしょうか。

もちろん、すぐ分かってもらえる可能性は低いです。
しかし一方的に自分の思いを話すのではなく、
対話をすれば、
「その人の思い」は相手の心にどのようなかたちであれ、残ります。
それがいつどのような形で芽を吹き、根を伸ばし、葉を茂らすか。
少なくとも種をまかなければ始まりません。

私には、どのような選挙のテクニックよりも、
一人一人が思いを伝えあうことの方が、
よりよい社会を築きあげていくための、
いや、今崩壊している社会を立て直すための、重要な行為だと思います。

「身近な人に政治の話をするのは敷居が高い」
よく分かります。本当に敷居が高いですよね。
まずは「聞く」ことから始めましょう。
相手を「分からず屋」だと決めつける前に。

拉致問題における訪米の意義

日本政府
07 /15 2019
拉致問題における訪米の意義

最近、「拉致問題 憎しみを超えて」はツイッターにも力を入れています。
そこで、定期的に「ハッシュタグ#拉致問題」の他のツイートを
チェックしたりします。
残念ながら、拉致問題で呟いている人は多くなく、
最近のほとんどのツイートが「拉致問題 憎しみを超えて」によるものであることは、
まことに残念なことです。

しかし先日、以下のようなツイートがありました。
https://twitter.com/tsukada_ichiro/status/1143026389429260289
参議院議員塚田一郎氏によるものです。
「自由民主最新号が発行されました!
安倍総裁との対談「拉致問題の解決に向けて」が掲載されています。
是非ご一読ください。
全ての拉致被害者の早期帰国実現に向けて、
今後とも全力を尽くします。」
とあります。

塚田一郎氏といえば、4月の例の「忖度」発言で大騒ぎになった人です。
調べてみると、今度の参院選に再選を求めて出馬するようでした。

そこで、添付されている安倍総理との対談を、お勧め通り一読してみました。
「拉致問題の解決に向けて」何か新しい提案などがあるのでしょうか?
ありませんでした。
しきりに訪米して拉致を訴えていることを強調しており、
げんなりさせられました。
きっとそれしか誇れるようなことがないのだろう、と解釈。

しかしそれから救う会関係者による怒涛の塚田氏への「忖度」が始まります。
・週刊新潮7月4日号櫻井よしこ氏「日本ルネッサンス」より
「塚田さんがとにかく動こうと言って訪米が決まり、
国家安全保障会議アジア上級部長のポッティンジャー氏に会えたのです。
氏に(横田)拓也さんがめぐみさんのことを語り、
それを聞いたポッティンジャー氏が、
これからトランプ大統領と会うので、
必ず伝えると約束してくれたのです。
その1週間後にめぐみさんに言及した国連演説があり、
11月6日、トランプ大統領が家族の皆さん方に初めて会って下さった」
(救う会会長西岡力氏談)

・7月10日の自民党の広報動画
https://twitter.com/tsukada_ichiro/status/1148802281069924352
救う会会長西岡力氏が、上の週刊新潮の記事の内容を、
よりヨイショして語っています。

・7月11日の救う会副会長島田洋一氏のツイート
「新潟選挙区で塚田一郎候補が苦戦だという。
例の「忖度」発言の余波らしい。
しかしはっきり言って、不適切な冗談レベルの話だ。
一発で政治生命を絶つべきは、
少数の拉致被害者で騒ぐのは
北朝鮮にフェアではないとうそぶいた辻元清美のような発言だ。
その辻元に似通う左翼弁護士を当選させてよいのか。」
「塚田氏は拉致問題で地道に汗をかいてきた。
新潟県民のバランス感覚に望みをつなぎたい。」
 ※辻元に似通う左翼弁護士・・・対立候補のうち越さくら氏のことか? 

今まで当ブログでは、救う会を「安倍総理を救う会」だと、
何度も批判してきましたが、もうそんな批判が必要ないほど、
露骨な自民党議員の擁護ぶり。野党議員の罵倒ぶり。
拉致問題の政治利用もここに極まれり!

ところで拉致問題における訪米とは、それほど重要なものなのでしょうか?
実はこの訪米の効果については、前々から大いに疑問を持っていました。
そして訪米についての報道がある度に、苦々しい思いをしていました。
しかし、他にも重要なことが多くあったので、
このブログでも訪米については、
今まで部分的にしかとりあげてきませんでした。

これもよい機会です。
拉致問題における訪米の意義について、
まとまった形で語ってみることにしましょう。

①訪米活動の回数
 拉致問題における訪米活動は毎年のように行われてきてきますが、
ここでは第二次安倍政権成立後にしぼって見ていきます。
・2013年5月の訪米。
www.sukuukai.jp/mailnews/item_3420.html
www.sukuukai.jp/mailnews/item_3422.html
・2015年5月の訪米。
https://www.rachi.go.jp/jp/archives/2015/0505symposium.html
・2016年2月の訪米。
www.sukuukai.jp/mailnews/item_5270.html
・2016年5月の訪米。
www.sukuukai.jp/mailnews/item_5384.html
・2016年12月の訪米。
https://www.rachi.go.jp/jp/archives/2016/1201un.html
・2017年9月の訪米。
www.sukuukai.jp/mailnews/item_6077.html
・2018年5月の訪米。
www.sukuukai.jp/mailnews/item_6487.html
・2019年4/30~5/5の訪米。
www.sukuukai.jp/mailnews/item_6933.html
・2019年5月の訪米。
www.sukuukai.jp/mailnews/item_6938.html
6年間で9回訪米しています。
1年に1.5回という回数は、実に多いというべきでしょう。
*家族も含め関係者の渡航費用は税金です。
 5月に訪米が集中しているのは、
 国会議員のGW中の外遊期間に相当します。

このほかにも、ヨーロッパは何度か訪問しておりますが、
韓国・中国・ロシアは一度もありません。
このバランスの悪さに奇異の念を持つのは、私だけではないのでは?
本来拉致問題にはアメリカは一切関係がない、
という常識的な前提は存在しないようです。

②訪米活動の目的
この間の救う会・家族会の運動方針から、アメリカに関する部分を見てみましょう。

「米国オバマ⇒トランプ政権への働きかけを強化する。
テロ支援国再指定、金融制裁強化を求めていく。
引き続き、米議会内外の保守派との連携を強めていく。
米国オバマ⇒トランプ政権に対し、
歴代米国政権が北朝鮮に騙され続けてきたことを踏まえ、
融和的でない外交を展開するように働きかける。」
この6年間、オバマ政権からトランプ政権への変更以外、変更はありません。

「米議会内外の保守派との連携を強めていく。」というくだりが実に異様です。
対話・融和を一切拒否して、強硬な圧力だけを求めています。
「歴代米国政権が北朝鮮に騙され続けてきた」というのも、
家族会・救う会のメンバーはアメリカの政府高官より有能で、
北朝鮮のことを正確に語ることができる、という自信満々な前提があるようで、
なんとも不思議な思いに駆られます。

訪米活動の目的は、
「アメリカを使って、北朝鮮に圧力をかけること」
と一言で言っていいと思います。

③訪米活動の内容
救う会や拉致問題対策本部の公表されている記事を読んだ上での印象は、以下の通り。
・2017年のトランプ政権成立以前は、
 基本的に啓蒙活動だが、百~数百人の聴衆相手に、
 拉致問題のスタンダートな話をしているだけのように見える。
・トランプ政権成立後は、それに加えて政府高官への訪問の比重が増える。

④訪米活動の効果
どうも拉致関係者は、トランプ政権成立後初めての2017年9月の訪米を、
一つのエポックと見なしているようで、それがそれに関わった、
塚田一郎議員の今回の高評価につながっているようです。
逆に言えば、それ以前の訪米は、彼ら自身が関わっているにも関わらず、
あまり評価の対象にはなっていないように思えます。

何しろ先に触れた週刊新潮の記事で西岡力氏は以下のように語っています。
「一昨年(2017年)9月、トランプ大統領が国連演説で、
13歳の少女が北朝鮮に拉致されていると語り、
めぐみさん拉致事件を世界に知らしめました。
背景に塚田さんの力があったのです。」

アメリカ大統領が国連演説で語れば、世界中に伝わるかどうかは、
いささか疑問があります。
それに西岡氏を含めた拉致問題関係者はそれ以前にも繰り返し訪米し、
ヨーロッパも何度も訪問して、
ジュネーヴの国連人権理事会強制失踪作業部会での証言活動などを行っている
のですが、具体的な成果はあったのでしょうか。

また2017年10月5日に訪米報告の集会が行われ、
西岡氏は以下のように語っています。
「今まさに北朝鮮が核実験をやり、大陸間弾道弾の実験をして強い制裁がかかった。
その後トランプ大統領がツイッターで金正恩批判をし、金正恩が自分の名前で
「アメリカを攻撃する」と言っている状況の中でも、安倍総理の口からだけでなく、
トランプ大統領の口からも拉致問題が出たということは、
旗が飛ばされているのではなく、
核・ミサイル問題で圧力をかけている大将が
拉致の旗も掲げてくれたということで、
それは大きな意味があったのではないかと思います。」
「全被害者の一括帰国、
それも「認定の有無に関わらず」は絶対におろしてはならない。
それを日本中の誰に聞いても同じことを言うという状況を作る。
トランプ大統領が裏切ろうとしたら、
「あなたは国連で言っただろうということまで日本は言いますよ」と。」

 ※ちなみにトランプ演説では
「さらに行動しなければならない。
すべての国家が協力して金体制をいっそう孤立させ、
敵対的な行動を止めさせなければならない。」
と言っています。
しかし、その後に行われた3度の米朝首脳会談に対して日本政府が、
「あなたは国連で言っただろうということまで日本は言いますよ」
と言った形跡は全くありません。

その後、今まで三度の訪米が行われ、
二度のトランプ大統領と拉致被害者家族の面会が行われました。
それらで救う会・家族会から求められたのは、
「圧力」「制裁」「全拉致被害者の即時一括帰国」であり、
「話し合い」では全くなかったことは、彼ら自身の報告から明らかです。
家族会・救う会の行動方針通りです。

さて、訪米活動の成果です。
もうそんなのことは言うまでもないことではないですか。
三度の米朝首脳会談という事実、全く蚊帳の外の安倍外交、
を見れば誰でも分かることです。
未だにトランプ大統領は拉致問題解決に動いてくれている、
と信じることができる人は、
幻想の世界に逃避しているのです。
 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190710-00000012-kobenext-soci

⑤訪米活動の評価
 これからは私自身の考えによる、訪米活動の評価です。
トランプ政権成立以前の訪米については、
基本的に「拉致問題における国際連携の強化」のルーティンワークをこなして、
「やってる感」を出しているだけであり、評価に値しません。

トランプ政権成立後の訪米については、トランプ大統領の一時期の対北強硬路線に、
何らの分析も加えず、裏も読まず、
表面的な言葉にそのまま乗っかってしまった観があります。
まさにトランプ大統領の言動と、
救う会・家族会の運動方針の「融和的でない外交を展開するように働きかける」は、
表面上ぴったり方向性がそろっていたので、少々無理もない部分もあります。

問題は、
いや大大問題は、
「トランプ大統領の言動は、自分達の働きかけの結果だ」
という勘違い、
勝手な思い込みにあったと言うべきです。
驕りと言ってもいいかもしれません。
全くそうでなかったのに。
普通に考えれば、そんなことはあり得ないことだったのに。

結局トランプ政権成立後の訪米も、
基本的に「拉致問題における国際連携の強化」としてのルーティンワークをこなして、
「やってる感」を出しているだけであり、
トランプ大統領の気まぐれな言動に、ただ振り回され、
北朝鮮との駆け引きに一時的に利用されただけの、
主体性のないものであったというのが、私の評価です。

それは評価に値しないどころではなく、
あれだけ訪米しておりながら、
圧力を加えるはずの最大の後ろ盾が、
北朝鮮側に歩み寄る可能性を一切考えないと言う、
信じられない怠惰。
梯子を外された時のリスクに全く備えなかった、あきれ果てた無能。
それは弾劾に値します。

そうではありませんか?

だから塚田一郎議員の、
訪米に特化された拉致問題への貢献なるものも、
ゼロですらなく、マイナスであった、と言っていいと思います。
功績を称するなどとんでもないことで、激しく批判されてしかるべきです。
板門店でトランプ大統領と金正恩委員長が、笑顔で手を取り合った後には、
今まで「圧力」「制裁」「全拉致被害者の即時一括帰国」だけを求め続けた事実は、
「一寸の先も見通せない間抜けだと言うべきであろう」(7月6日朝鮮中央通信)
と突き放される材料にしかならないでしょう。

「結果論でものを言っている!」という人は、
当ブログの過去の記事を読んで頂ければと思います。
こんなことにならないようにと、繰り返し批判を続けてきました。
そうです。
こんなことにならないように批判をしてきたのです!

ここで、この大失敗の具体的な例を何点か挙げます。
昨年9月14日に、アメリカのスティーブン・ビーガン北朝鮮政策特別代表が訪日し、
拉致関係者・拉致被害者家族と面会しました。
https://www.asahi.com/articles/ASL9G6G47L9GUTIL046.html
そこで飯塚耕一郎氏は、
「米国が核・ミサイルの問題で妥協できないように、
我々も拉致問題では一切妥協できません」と訴え、
ビーガン氏は、
「15年前にご家族がワシントンに来たときお目にかかり、心動かされました。
被害者が帰国できるよう、持てる力をすべて出したい」と応じました。

さてビーガン氏は拉致問題解決のために、持てる力をすべて出しているでしょうか?

東洋経済の記事によると
「不発に終わったハノイでの会談以降、
ビーガン氏らアメリカ側の実務担当者は、3回目の首脳会談開催を進めるべく、
精力的に北朝鮮と接触を繰り返してきたことが知られている」そうですが、
日本の拉致関係者にその旨を伝えたり、
米朝首脳会談で拉致問題を取り上げるように努めた形跡はありません。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190702-00289946-toyo-bus_all&p=1
また同じく東洋経済の記事によると
「従来の計画よりはるかに後退した核開発凍結案に合意することを、
スティーブン・ビーガン北朝鮮担当特別代表と同様に
トランプ大統領が明確に示したことも反映している。
ニューヨーク・タイムズ紙が報道したように、
これは将来の核開発には上限を設けるものの、
北朝鮮を核保有国として受け入れることを意味するだろう。」とあります。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190706-00290792-toyo-bus_all&p=1
米国が核・ミサイルの問題で妥協できる可能性が示されています。
また、7月に入ってのビーガン氏に関する記事をいくら見ても、
非核化に触れてはいても、拉致問題について、一言も触れられていません。

よく西岡力救う会会長は、
拉致被害者家族の話には、特別なパワーがあると信じているのか、
「家族の生の声を伝える」という言いまわしをします。
ビーガン氏には「家族の生の声」の影響力はさほど働いていないようです。

また第三回米朝首脳会談が行われた後、
河野太郎外相がアメリカのポンペオ国務長官から、
電話で説明を受けた話をしています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190701/k10011977761000.html
この記事では拉致問題については、以下のように述べられています。
「河野大臣は北朝鮮による拉致問題について、
「トランプ大統領もポンペオ長官も、
北朝鮮側と会うたびに拉致問題を提起してくれており、
北朝鮮側もそこはしっかり認識をしていると思う。
最後は日本が北朝鮮と話し合わなければならず、
しっかりと準備をしておきたい」と述べました。」

今回もトランプ大統領が金正恩委員長と会った際、
拉致問題を提起してくれた、とは言っていません。ただの憶測です。
一方的に話を拝聴しているのではなく、電話で話しているのですから、
「拉致問題について触れてくれましたか?」と一言確認すればすむことです。

なぜこんなぼかした言い方をするのでしょうか?
トランプ大統領にも、ポンペオ国務長官にも、
今まで繰り返し拉致の話をしているはずなのに。

たったこれだけのことも聞けないのでは、
日米の絆など幻想で、9回の訪米など、ただの一方通行であった、
と言わざるを得ません。

⑥訪米活動の教訓
政府・拉致関係者の落ち度について、ただあげつらうだけでは、建設的ではありません。
最後に、訪米活動の教訓について触れたいと思います。

訪米活動の教訓は、
拉致問題の訪米活動に今まで関わった人々が、
一秒の猶予もないと彼ら自身が述べているにも関わらず、
硬直化した前提に基づき、事実を事実として認めることなく、
税金を無駄遣いし、
貴重な時間をただ空費してきた上で、
北朝鮮に対話自体を拒絶される、という最悪の結果を招いた、
という事実が明らかになった、ことにあると言ってよいと思います。

だからこれからは、
今まで訪米活動に関わっていた人々~当然塚田一郎氏も含まれます~を
拉致問題から一切手を引かせることが必要です。
彼らにはその資格がないのですから。

そして今まで「圧力」「制裁」「全拉致被害者の即時一括帰国」と
触れて回っていなかった人に、拉致問題の解決に通じる、
今後の北朝鮮との交渉をゆだねなければなりません。

そのためにも、
今までの拉致問題の訪米活動の経過は、一度リセットし、
もしこれから訪米するとすれば、
日朝の仲介をお願いするためにいかなければならないでしょう。

今までの訪米活動の教訓を生かし、
「今さらなんだ!」と呆れられない、
「安倍一味」以外から清新な人選をすること。
そのことが求められています。

Serenity Prayer

某県「救う会」(北朝鮮に拉致された日本人を救出する〇〇の会)元幹事。
脱退後に意見の対立から除名されたらしい。(正式な通告はなかった)
ウヨク的思考を経て中立に物事を見て、判断し、発言する方向へ変わる。
中立の立場から今の拉致問題のあり方に疑問を持つ。
拉致問題に限らず、考え方はヒューマニズムに立つ。